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慶照寺

■場所

広島県府中市出口町

■由緒

1559年、田坂教春が現・府中市荒谷町の高倉に開創したのが始まりらしい。 田坂教春の父・義詮は稲村山城の城主で小早川家の家臣だったらしい。 しかし、毛利家が小早川家と縁組をした際、毛利元就の3男・隆景を小早川家に迎える事に反対した為、暗殺され、稲村山城も落城したらしい。 そんなこんなで、田坂教春は現・尾道市御調町に落ち延び出家したらしい。 1740年、現在地に移転したらしい。

■参拝日

2019年4月6日

■日記

石州街道出口通りを散策している時に発見したお寺です。 本日は何かの祭りでもあるのでしょうか、境内ではお寺の方がセカセカと何かの準備をしておられました。 なもんで、邪魔にならぬようお参りを済ませる。その後、山門をねぶり上げる(これって方言?)ように観察する。 と同時に背中にアツい熱視線を感じる。きっと山門をねぶり上げる私の姿が怪しかったのだろう。 以前、とあるお寺で『研究者の方ですか?』と勘違いされた事があったが、あの日も今日と同じ種類の熱視線だった。 できるだけ怪しまれないように気をつけて参拝しているんだけど、それが逆に怪しい行動に映ってるのかも知れない。 ・・・気をつけないと。。。いやいや別に悪いことしてるわけじゃないんだから気をつける必要はない。

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■山門■


到着!
ってか、発見!

■山門■


1805年建立

■山門■


龍の彫刻

■山門■


蟇股

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■山門■


山門をくぐると

■本堂■


1740年建立
浄土真宗のお寺です

ひと足のばして
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石州街道出口通り


石州街道とは石見銀山で
採取した銀を運んだ道
銀の他に沿岸部からは
塩や海産物が運ばれ
山間部からは製鉄材料や
鉄製品が運ばれていたとも

石州街道出口通り


石見銀山→上下町→坂根峠を
越えてやっと平地に
出られたという意味で
出口という地名がついたらしい

石州街道出口通り


この場所には木戸があり
夕方は閉ざされていたらしい

石州街道出口通り


ちなみにこれが木戸

~画像は説明板より~

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石州街道出口通り


そんなこんなでテクテク

石州街道出口通り


なかなか
趣のあるストリートです

石州街道出口通り


多分ですけど
道幅は当時とあんまり
変わってないんだろうなぁ

石州街道出口通り


そんなこんなでテクテク

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石州街道出口通り


卯建がある建物もチラホラ

石州街道出口通り


なまこ壁の卯建

■茶屋跡■


峠を越えて一息ついた場所

■竹中邦彦の生家■


竹中邦彦とは福山藩7代藩主
阿部正弘お召抱えの刀鍛冶

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■慶照寺■


江戸期建立の山門と本堂が
ステキな浄土真宗のお寺

■恵比寿神社①■


立派な唐破風と
鯛の彫刻がステキな神社

■恵比寿神社②■


こちらもステキな唐破風

■金神社■


コガネ神社ではなく
カネ神社!
何となく露骨!

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■賑やかな建物■


一際、賑やかな建物を発見

■賑やかな建物■


どうやら昔は
タバコ屋を営んでいた模様

■賑やかな建物■


玄関には
『開けて見て下さい』
と書いてある

■賑やかな建物■


って、開かねーーー!
どないやねん・・・(笑)

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■府中焼き■


府中といえば府中焼き!
って事で
石州街道出口通りにある
平の家でお昼ご飯

■府中焼き■


一見
広島風のお好み焼きっぽいですが
豚バラ肉ではなくミンチ肉や
細切れ肉を入れるのが特徴
野菜はもやしは入れずに
キャベツのみ

■府中焼き■


麺はカリッカリで中はフワッ
ウーーーマでした!

■■


府中焼きは府中市内に
約40件あるらしい

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■金光味噌■


キッコーマンじゃなく
キッコーキン

石州街道出口通り


手足が縛られてない
開放された身代わり猿!
この猿達、自由で楽しそうです!

石州街道出口通り


キジの剥製にビビる

■ポスター■


アンガールズの田中さんは
府中市出身ってことで
府中市のふるさと大使に
任命されてる模様