寺社とご朱印の紹介サイト

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萬願寺

■場所

広島県呉市宮原

■札所

広島新四国八十八ヶ所霊場 第46番

■由緒

1596年に開基したお寺らしい。江戸時代、ご本尊の観音さんが盗難に遭ったらしい。 観音さんは夜な夜な『宮の原へ帰る。宮の原へ帰る。』と淋しがるので、盗人は観音さんを古道具屋へ売り払ったらしい。 その後、その観音さんが縁日の夜店で売られていたので、すぐ買い戻したらしい。 その日が8月9日であることから、今でも8月9日の夜は千日詣りの祭礼があるらしい。

■参拝日

2013年10月19日

■日記

数年に一度、不定期的に大和ミュージアムに行きたくなる、無性に。 なんか知らんけど、大和ミュージアムに行って、やるせなくて悲し~い気分になりたくなるのよ、不定期的に。 そんなこんなで、本日は呉をブラリ旅する事に。と、その前にやはり寺社巡り! 呉から音戸方面に向かって車を走らせていると、いつも山の中腹に五重塔が見え、毎回気になりつつもスルー。 いつか、あの五重塔に行こう行こう行こうと思いつつ年月は流れに流れ。 そんなこんなで、本日もスルーすると見せかけて、気まぐれ的に突発的に衝動的に無計画的に五重塔に向かう! 道のチョイスを誤ったのか、車幅ギリギリの超極細毛の坂道を上り何とか山門前に到着! 境内は思いのほか広く、五重塔前からは瀬戸内海&造船所&呉市内が一望できるという良景ポイント。 そんなこんなで、しばし五重塔前から景色を食す。『ここで大和が造られ、この海を渡って逝ったのか…』そんな事を思いつつ。 さてさて、大和への思いが高まったところで大和ミュージアムに行くとするか! と見せかけて、倉橋島の白華寺に向け車を走らせるのでありました!本日は自分でも制御できないくらい気まぐれ具合がハンパないです!

■ご朱印■

ご朱印

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■山門■


到着!

■山門■


山門をくぐると

■参道■


■無量寿堂■


無量寿とは
阿弥陀さんのことらしい

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■参道■


坂道を
ちょびっと登ると

■開山堂■


多宝塔タイプの開山堂

■開山堂■


思ってた以上に
広い境内

■参道■


参道には
石仏が並んでます

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■参道■


さらに参道を
ちょびっと登ると

■見返り観音■


戦没英霊を供養してます

■見返り観音■


見返り観音前からの風景
戦時中は東洋一の軍港として
栄えた呉
眼下に造船所や
自衛隊の船などが望めます

■参道■


さらに参道を
ちょびっと登ると

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■孔雀堂■


■孔雀堂■


孔雀堂の下をくぐり

■参道■


ちょびっと登ると

■鐘楼■


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■本堂■


真言宗のお寺です

■本堂■


■文殊堂■


■文殊堂■


文殊堂の横にはチンコ
メッセージ性の高し

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■境内の風景■


塀の中をのぞくと

■境内の風景■


ものすごい小さいお庭
瀬戸内海と造船所を
借景にしたナイスなお庭

■境内の風景■


建物の間を抜けると

大乗妙典 一石一字塔


大正10年頃、烏小島から
一石一字の経を刻んだ小石が
無数に掘り出されたらしい
それを安置していると
思われます
石碑には寛政二年と
刻まれてました

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■五重塔■


■五重塔■


新しめの五重塔

■五重塔■


五重塔前からの風景
呉市内を一望

■五重塔■


瀬戸内海と造船所を一望

日記の画像

■五重塔前からの景色■


パノラマる

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■稲荷社■


■台座を積み上げた塔■


ナイスリサイクル

■水野重政の碑■


藤田尚徳中将の詩碑


藤田尚徳中将は
第23代呉鎮守府長官

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■本堂と五重塔■


■五重塔と開山堂■


■孔雀堂と呉市内■


■頂き物■


お菓子を頂きました!

ひと足のばして
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■歴史の見える丘■


『戦艦大和を建造したドック』
萬願寺から車で数分の
場所にあります

■歴史の見える丘■


『戦艦大和を建造したドック』
骨組みは当時のままらしい

■歴史の見える丘■


『戦艦大和の塔』
奈良・大和神社の御分霊を
塔内に奉鎮
塔の両脇には
大和の主砲徹甲弾が置かれてます

■歴史の見える丘■


『戦艦大和の塔』
戦艦大和の船体を模した塔
レトロ感満載でステキ

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■歴史の見える丘■


『造船船渠記念碑』
旧呉海軍工廠造船船渠の
壁石を使って
ドックの底に降りる階段を
再現したもの

■歴史の見える丘■


『旧呉海軍工廠礎石記念塔』
旧呉海軍工廠の礎石を
集めて建立
レンガ部分は
旧海軍呉鎮守府開庁当時の
建材を使用

■歴史の見える丘■


『澤原為綱翁之像』
銅像は第二次世界大戦時に供出
現在は台座の1部が残るのみ

■歴史の見える丘■


『正岡子規の句碑』
友人・古嶋一雄が
海軍従軍記者として
軍艦松島で出征するのを
見送るために呉を訪れた時に
詠んだ句

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■大和ミュージアム■


正式名称は
呉市海事歴史科学館

■大和ミュージアム■


軍港・鎮守府としての
呉の歴史や
日本近代化の礎となった製鋼や
造船などの科学技術を展示
実物の兵器や戦艦大和の遺留品
戦没者の遺品なども展示

■大和ミュージアム■


広場の前からは
戦艦大和を建造したドックなどが
望めます

■大和ミュージアム■


そんなこんなで入館

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■大和ミュージアム■


戦艦大和・1/10の模型

■大和ミュージアム■


1941年、戦艦大和は呉海軍工廠で
当時の最先端技術の集大成で
建造された世界最大の戦艦

■大和ミュージアム■


しかし1945年、沖縄特攻作戦に
向かう途上
米軍の攻撃を受け沈没

■大和ミュージアム■


乗員3332名のうち3056名が
大和と運命を共にしたらしい

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■大和ミュージアム■


戦艦として史上最大の排水量
史上最大の46cm主砲を備えた
桁外れの戦艦だったらしい

■大和ミュージアム■


1941年、戦艦大和は呉海軍工廠で
当時の最先端技術の集大成で
建造された世界最大の戦艦

■大和ミュージアム■


いやはや
戦艦大和の技術にも感動ですが
この模型の技術にも感動

■大和ミュージアム■


1/10でも相当デカいです

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■大和ミュージアム■


戦艦大和の遺留品
戦没者の遺品を展示

■大和ミュージアム■


海底から引き上げられた
戦艦大和の遺留品

■大和ミュージアム■


戦時中の呉の様子など

■大和ミュージアム■


学びどころ満載

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■大和ミュージアム■


大型資料展示室

■大和ミュージアム■


『特殊潜航艇・海龍』
小型潜水艦らしい
全長17.28m 乗員2名

■大和ミュージアム■


『零式艦上戦闘機62型』
通称・ゼロ戦

■大和ミュージアム■


『零式艦上戦闘機62型』

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■大和ミュージアム■


『特攻兵器・回天10型』
人間魚雷
全長9m 乗員1名
平均年齢21歳の100名以上の
尊い命が失われたらしい

■大和ミュージアム■


『二式魚雷』

■大和ミュージアム■


『砲弾』
戦艦大和などで使用された
46cm主砲弾や
戦艦陸奥などで使用された
41cm主砲弾など

■大和ミュージアム■


『戦艦長門の軍艦旗』
戦艦長門を接収した
アメリカ海軍艦長の娘さんが
開運!なんでも鑑定団へ出品し
石坂浩二が購入
そして呉市に寄贈したらしい

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■てつのくじら館■


正式名称は
海上自衛隊呉史料館
潜水艦旧あきしおの実物

■大和ミュージアム■


戦艦大和の前甲板の
左半分を実寸大で
再現した場所

■大和ミュージアム■


『戦艦大和の時鐘』

■大和ミュージアム■


『戦艦陸奥のスクリューと主砲身』

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■大和ミュージアム■


『水中翼船 金星』
懐かしっ!
子供の頃、これに乗って
母の実家に里帰りしてた!

■大和ミュージアム■


『水中翼船 金星』
自分世代の乗り物が
資料として展示される時代に
なったのか…
何だか時代の流れを感じる…
歳とったのぅ

■大和ミュージアム■


『水中翼船 金星』
この何とも言えない
独創的な走りが懐かしい

■大和ミュージアム■


カラーコーンが砲弾

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■戦艦大和■


竣工前の公試運転中の姿
~画像はネットで拾いました~

■戦艦大和■


呉海軍工廠で
最終艤装中の大和
~画像はネットで拾いました~

■戦艦大和■


直撃弾を受ける大和
~画像はネットで拾いました~

■戦艦大和■


大和の最期
~画像はネットで拾いました~