寺社とご朱印の紹介サイト

ロゴ

狐瓜木神社

■場所

広島県広島市東区戸坂くるめ木

■由緒

もともとこの地には弥生時代の祭祀形式である磐境があったらしい。 860年、志那都比古神と事代主神を勧請したらしい。 984年、八幡三神を勧請したらしい。 1274年、安芸国の守護職となった武田信時が、この神社を佐東郡の惣社としたらしい。 戦国時代、大内義隆、毛利元就が神田を寄進したらしい。 江戸時代、広島藩主・浅野氏が祈願所として祭祀料や神器などを奉納したらしい。 1945年、原爆投下による爆風で柱が傾くなどの被害に遭ったが、倒壊を免れ現在にいたるらしい。

■参拝日

2018年5月25日

■日記

被爆建物が残る狐瓜木神社に到着!境内には被爆建物と被爆石造物が多数残ってました。 爆心地から約5キロ離れたこの地でも、拝殿の柱が傾いたり稲荷社が倒壊するなど、結構な被害があった事を知る。 爆風の威力・・・私の想像力じゃ追いつかない。戦争を知らない世代で埋め尽くされつつあるニッポン。 無言ではあるが後世まで語り継いで欲しい。と願いつつ、境内入口付近にある宮司さん宅を訪ねる。ご朱印はやってないとのことです。 ちなみに狐瓜木神社と書いて『くるめぎ神社』と読むらしい。戸坂くるめ木という地名は、この神社が由来となったのでしょうか。 宮司さんに聞いて帰ればよかった・・・嗚呼。

■公式ホームページ

狐瓜木神社 >>

>
日記の画像 日記の画像 日記の画像 日記の画像

■境内入口■


到着!
爆心地から4.9km

■境内入口■


石柱は1913年建立
被爆石造物

■鳥居①■


明神鳥居
建立年不詳

■鳥居①■


扁額

日記の画像 日記の画像 日記の画像 日記の画像

■手水舎■


■鳥居②■


神明鳥居
1912年建立
被爆石造物

■狛犬①■


1912年作
被爆石造物

■狛犬②■


かまえ獅子型

日記の画像 日記の画像 日記の画像 日記の画像

■拝殿■


1805年建立
被爆建物

■拝殿■


応神天皇、仲哀天皇
神功皇后を祀る
相殿として
志那都比古神(風伯神)
事代主神を祀る

■拝殿■


木鼻

■拝殿■


蟇股

日記の画像 日記の画像 日記の画像 日記の画像

■拝殿■


擬宝珠高欄
木製の擬宝珠に萌える

■拝殿■


ステキです

■拝殿■


海老虹梁

■拝殿■


基礎

日記の画像 日記の画像 日記の画像 日記の画像

■拝殿■


拝殿外陣

■拝殿■


絵馬①
1929年作
何の場面でしょ

■拝殿■


絵馬②
1821年作
干支の木製絵馬

■拝殿■


よく見ると干支の他に
大黒天さんがいたり
カメみたいな動物がいたり・・・
なんじゃこりゃ?

日記の画像 日記の画像 日記の画像 日記の画像

■拝殿■


拝殿外陣からの風景
戸坂方面を望む

■拝殿■


拝殿外陣からの風景
境内を望む

■本殿■


1912年建立
被爆建物

■本殿■


日記の画像 日記の画像 日記の画像 日記の画像

狐瓜木豊穂稲荷社


石柱は1906年建立
被爆石造物

狐瓜木豊穂稲荷社


宇迦之御魂神を祀る
1945年
原爆の爆風で倒壊したが
同年にその材木を使って
再建したらしい

狐瓜木豊穂稲荷社


明治時代末まで
広島の六社巡詣の1つとして
知られていたらしい
六社とは沼田郡狐瓜木稲荷
白島宝勝院稲荷
竹屋町円隆寺稲荷
稲荷町稲荷
後松原七本松稲荷
中之棚稲荷のことらしい

狐瓜木豊穂稲荷社


狐瓜木豊穂稲荷社に
狐瓜木神社・拝殿の
古写真が貼ってありました

日記の画像 日記の画像

■境内からの景色■


参道を望む

■境内からの景色■


祇園方面を望む