広島県東広島市西条町御薗宇
吾妻子の滝は、もともと千尋の滝と呼ばれていたらしい。 1180年、平家追討の為に立ち上がった源頼政が、平家に敗れ京都で自刃したらしい。源頼政の妻・菖蒲前は追手を逃れ3才になる息子と共に、千尋の滝の岩屋に身を隠したらしい。 しかし息子は死んでしまう。このとき、菖蒲前が『吾妻子や 千尋の滝のあればこそ 広き野原の 末をみるらん』と和歌を詠んだらしい。 それ以来、千尋の滝は吾妻子の滝と呼ばれるようになったらしい。 1191年、菖蒲前に賀茂一群が与えられたらしい。菖蒲前はとても喜び『我が薗よ』と言ったとか。それが御薗宇という地名の由来らしい。
2016年1月10日
東広島市立御薗宇小学校の間隣りにあります、吾妻子の滝に到着! とても滝がありそうな雰囲気じゃない所にあります!しかもワイドにデカいです!私の勝手なイメージだけど、滝って山にあるイメージ。 西条の町自体、標高が高い盆地だから、ある意味山っちゃ山なんだけど、体感的には平地。 一見、人口的に作られた滝かと思わす構造でしたが、少なくとも平安時代末期には存在していた由緒ある滝。ステキな滝でした。 到着したのがほぼ日暮れ間近だったので、数枚の写真を撮って日没。もっと写真撮りたかった。
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■吾妻子の滝■
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■吾妻子の滝■
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■吾妻子の滝■
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■吾妻子の滝■
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■吾妻子観音堂■
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■白牡丹精米臼場跡■
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■吾妻子の滝■
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■エリザベト音大■
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■御薗宇の風景■
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