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萩 世界遺産巡り

■場所

山口県萩市

■概要

2015年、世界遺産『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の構成の1つとして登録された史跡。 山口、福岡、長崎、熊本、鹿児島、佐賀、静岡、岩手の8県11市にある23の史跡からなる世界遺産で、 萩エリアは産業技術導入の最初期の遺産群として5つの史跡が登録されたらしい。

■訪問日

2016年8月15日

■日記

ヤバいっす!首のヘルニアがヤバいっす!ずっと右手がシビレてます!握力はなんと20!驚愕と失笑の医者から宣告されたのは、絶対安静! そんなこんなで、仕事の長期休暇を余儀なくされる。もうかれこれ1ヶ月間、休んでおる。もう飽きたよねぇ~、家で寝てる事に! やっぱ出掛けちゃうよねぇ~!って事で、最近はガンガンお出掛けしてます! それなら会社に行けってか!?せっかく休暇をもらったんだから思う存分休ませていただきますよ! そんなこんなで、寝着のまま萩に向かってGO!檻から飛び出した猿のごとくウキウキっ! 本日は、萩の世界遺産巡りをしてきました!それにしても、萩の世界遺産。 スケールの小ささは否めないけど、随所随所でゾクッとする感動がありました! しかしながら100%楽しむ為には、予備知識と研ぎ澄まされた感性が必要のようだ! これは見るというより、プロセスとイマジネーションの融合を楽しむタイプの史跡。とか思ってみたり。

● 萩反射炉

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■萩反射炉■


寝着のまま到着!
ヘルニアのくせに
憎たらしいほどの躍動感!
痛いんですよ、本当は!

■萩反射炉■


1856年建立
世界遺産

■萩反射炉■


西洋式の鉄製大砲の
鋳造を目指した萩藩が
建立した反射炉

■萩反射炉■


現存する反射炉は
山口の萩反射炉と
静岡の韮山反射炉のみらしい

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■萩反射炉■


反射炉の煙突部
高さ 10.5m

■萩反射炉■


記録で確認できるのは
1856年の一時期に試験炉が
操業されたという事だけらしい

■萩反射炉■


って事で、萩反射炉は
試験炉だったと
考えられているらしい

■萩反射炉■


仕組みを理解するまで
相当時間がかかってしまった

● 恵美須ヶ鼻造船所跡

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恵美須ヶ鼻造船所跡


到着!

恵美須ヶ鼻造船所跡


江戸時代末期
萩藩が西洋式帆船を
建造した造船所跡

恵美須ヶ鼻造船所跡


世界遺産

恵美須ヶ鼻造船所跡


この史跡で
100%楽しむ為には
研ぎ澄まされた
感性が必要だ

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恵美須ヶ鼻造船所跡


建物の跡地を鎖で再現
そんな跡地を
想像力のみで散策します

恵美須ヶ鼻造船所跡


何もない原っぱに
想像力で建物を建てる

恵美須ヶ鼻造船所跡


この造船所で
ロシアの造船技術による
丙辰丸と
オランダの造船技術による
庚申丸を建造したらしい

恵美須ヶ鼻造船所跡


同じ造船所内に
異なる国の造船技術が
共存する唯一の造船所らしい

● 大板山たたら製鉄遺跡

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大板山たたら製鉄遺跡


到着!

大板山たたら製鉄遺跡


江戸時代の製鉄所跡

大板山たたら製鉄遺跡


世界遺産

大板山たたら製鉄遺跡


当時は砂鉄を原料に
木炭を燃焼させて
鉄を作っていたらしい
この方法を
たたら吹きというらしい

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大板山たたら製鉄遺跡


中国山地は、良質な砂鉄と
炭の原料となる木材が
豊富に産出される為
古来より製鉄が盛んだったらしい

大板山たたら製鉄遺跡


ここで生産された鉄は
西洋式軍艦建造に
用いられていたらしい

大板山たたら製鉄遺跡


ここの史跡は
恵美須ヶ鼻造船所跡よりは
わかりやすくて楽しかった
製鉄の方法が
とてもよく理解できました

大板山たたら製鉄遺跡


萩の世界遺産巡りは
見て楽しむというより
知って楽しむとこが多い
という事に気づいた
それに気付くと
めっちゃ楽しくなる

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大板山たたら製鉄遺跡


史跡にはこういった
アナログバーチャルな設備が
設置されております

大板山たたら製鉄遺跡


建物の絵の丸ポイントと

大板山たたら製鉄遺跡


跡地の赤ポイントを
合体させると

大板山たたら製鉄遺跡


跡地に建物が建つという!
ナイスアイデアです

● 萩城下町

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■萩城下町■


到着!

■萩城下町■


約260年間
萩の城下町として栄えた所

■萩城下町■


世界遺産

■萩城下町■


現在も
江戸時代の町筋が
色濃く残ってるらしい

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■萩城下町■


情緒こぼれる江戸の町並みを
のんびり歩く

■萩城下町■


気分は江戸人

■萩城下町■


なまこ壁とステキ窓

■萩城下町■


景観を乱す為
道路標識などが
ないという
代わりに小さいミラーが
地面に置いてあるという!
苦肉の策!

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■高杉晋作旧宅■


高杉晋作誕生の地

■高杉晋作旧宅■


1839年、高杉晋作は
ここで生まれたらしい
1857年、久坂玄瑞に誘われ
松下村塾に入門し
吉田松陰の教えを受けたらしい

■高杉晋作旧宅■


奇兵隊の創設
四国連合艦隊との調和談判
下関挙兵などを行い
明治維新の為に
力を尽くしたが
維新の現実を見ることなく
28歳で死去した人

■高杉晋作旧宅■


旧宅内には
高杉晋作ゆかりの品
などが拝観できます

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■高杉晋作旧宅■


高杉晋作 産湯の井戸

■高杉晋作旧宅■


奇兵隊が使用した
銃弾と銃弾箱

■高杉晋作旧宅■


高杉晋作が坂本龍馬に贈った
ピストルのレプリカ

■高杉晋作旧宅■


1857年に出された人相書
今でいう指名手配
左 → 西郷隆盛
中 → 高杉晋作
右 → 平野次郎
全然似てない・・・
何のヒントにもならない

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■木戸孝允旧宅■


木戸孝允誕生の地

■木戸孝允旧宅■


1833年、木戸孝允は
ここで生まれたらしい
江戸に出るまでの20年間を
ここで過ごしたらしい
薩長同盟を結ぶなど
明治維新に力を尽くした人

■青木周弼旧宅■


青木周弼は
藩主・毛利敬親の
侍医を務めた人

■旧佐伯丹下家屋敷■


佐伯丹下は幕末に
直目付や撫育方仕組掛や
奥番頭役など
藩の要職を歴任した人

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■菊屋家住宅■


江戸時代初期建立
藩の御用達を勤めた
豪商・菊屋家の住宅

■旧久保田家住宅■


江戸時代後期建立
久保田家は
呉服商、酒造業を
営んでいたらしい

■旧田中別邸■


第26代内閣総理大臣
田中義一の別邸

■円政寺■


高杉晋作、伊藤博文らが
勉学に励んだお寺らしい

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■高杉晋作立志像■


晋作広場にあります

■久坂玄瑞進撃像■


中央公園にあります

■萩焼■


萩といえば萩焼

■夏みかんソフト■


萩といえば夏みかん
美味かったです

● 松下村塾

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■松下村塾■


到着!

■松下村塾■


江戸時代末期建立
世界遺産

■松下村塾■


1842年、吉田松陰の叔父
玉木文之進が自宅で私塾を
開いたのが始まりらしい
1857年、吉田松陰が
塾を引き継ぎ
1年余り、この塾で教育したらしい

■松下村塾■


吉田松陰は
身分や階級にとらわれず
塾生を受け入れ
久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文
山県有朋、品川弥二郎など
明治維新&明治新政府で
活躍した多くの人材を
育てたらしい

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■松下村塾■


講義室
8畳の小さな部屋
本州の端っこの小さな町の
その町の端っこの小さな村の
その村の小さな小屋が
日本の幕開けとなる

■松下村塾■


吉田松陰は
江戸時代末期に活躍した
長州藩の思想家&教育者
9歳で藩校・明倫館の
兵学師範に就任
東北旅行の際
友人との出発日を守る為
通行手形の発行を待たず脱藩
そして謹慎処分になる
アメリカに行きたくて
たまらなかった松陰は
ペリー来航の際
漁民の小舟を盗んで
ペリー艦隊の黒船に横付けし
黒船に乗り込み
密航しようとするが
追い返されて投獄

■松下村塾■


その後、実家にて幽閉処分
幽閉中、松下村塾で
塾生の教育にあたる
日米通商条約が結ばれると
松陰はそれを強く批判し
老中・間部詮勝の
暗殺を企てる
そして再び投獄
今回ばかりは
さすがに許してもらえず
1859年に処刑される

■松下村塾■


そんなパンクでクレイジーで
滅茶苦茶に情熱が溢れた
イカれた天才偉人
この人が奏でるロックを
聴いてみたい
すんごい興味ある

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■吉田松陰幽閉の旧宅■


密航に失敗した松陰は
萩の野山獄に投獄され
その後、実家で
幽閉処分となる

■吉田松陰幽閉の旧宅■


わずか3畳半の
狭いこの部屋で
幽囚生活を送っていたらしい

■吉田松陰幽閉の旧宅■


ちなみに実家自体は
結構、広い

■吉田松陰幽閉の旧宅■


茶室もある

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■吉田松陰幽閉の旧宅■


老中・間部詮勝の
暗殺を企てた事により
再び幽閉された部屋
その後、29歳で処刑される

■吉田松陰幽閉の旧宅■


再度幽閉された部屋には
三余読書 七生滅賊の掛け軸

■吉田松陰幽閉の旧宅■


吉田松陰の名言
①至誠にして動かざるものは
未だこれあらざるなり
②かくすれば
かくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂

■吉田松陰幽閉の旧宅■


③宜しく先ず一事より
一日より始むべし
④親思う 心にまさる親心
今日のおとづれ 何と聞くらん

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■至誠館■


吉田松陰ゆかりの品を
多数拝観できました
ちなみに写真撮影不可

■至誠館■


処刑前日に書いた
門下生・塾生への遺書
留魂録にコーフン

■吉田松陰歴史館■


吉田松陰の生涯を
70体以上の蝋人形で
再現した施設

■吉田松陰歴史館■


帽子かぶっとる!
前回来た時は
帽子かぶってなかった

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■顔ハメ■


祝!
世界遺産登録!