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吉備津神社(備後)

■場所

広島県福山市新市町宮内

■由緒

806年、吉備国一宮であった吉備津神社より勧請して創建された神社らしい。 しかし平安時代中期に編纂された延喜式神名帳に記載がないことから、実際の創建はもっと後であるとする説が有力らしい。 神社名が最初に確認できる史料は1148年の八坂神社の記録『社家条々記録』で、境内の発掘調査でも12世紀以降のものしか出土してないらしい。 1287年、時宗の開祖・一遍上人が参詣し、その様子は国宝・一遍上人絵伝(一遍聖絵)に描かれているらしい。 1298年、京都・六波羅より神領16000貫を受け、とても繁栄していた神社らしい。 戦国時代、毛利輝元が社領を寄進したらしい。江戸時代、この地を治めた福島氏、水野氏が社領を寄進したらしい。 備後国一宮らしい。

■参拝日

2010年2月6日

■日記

イッキュウさんという名で親しまれている、備後国一宮・吉備津神社に到着! 参拝後、社務所にて『200年前の境内図』のコピーを頂きました。 神社のお方によると、この『200年前の境内図』は200年前の観光ガイドらしいです。 って事で200年前、神社は人気観光スポットだったらしいです。 そんなこんなで、200年前の境内図と現在の風景を照らし合わせてみました。 鳥居、拝殿、本殿はおろか、摂社&末社までもが、ほぼ200年前と同じ場所に建っているという! って事は、200年前の人とホボ同じ風景を見ているという事なのかっ! そう思うと、メッチャ浪漫!町は変わるけど、神社は変わらない。 町も人も変わるけど、神社も人の感性も変わらないならメッチャ浪漫! 古いものを古いままで残してくれている人間の先輩方に感謝です。 それにしても、地方にしちゃデッカい本殿だったなぁ。あと長~い石造・太鼓橋もスゲかった。いやはや感動!

■公式ホームページ

備後一宮吉備津神社公式ホーム >>

■ご朱印■

ご朱印

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■鳥居■


到着!
1648年建立

■随身門①■


■随身門①■


矢大臣

■随身門①■


左大臣

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■随身門①■


随身門①をくぐると

■参道■


開放的な参道

■手水舎■


■参道■


石階段を上ると

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■随身門②■


なんと再び随身門

■随身門②■


随身門が2つある神社は
この神社が唯一らしい
こりゃ珍すぃ

■随身門②■


屋根瓦には木瓜紋

■随身門②■


随身門②をくぐると

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■神楽殿■


1673年建立

■神楽殿■


障子で区切ってるのって
これまた珍すぃ

■狛犬①■


備前焼きでした

■狛犬②■


近頃よく
備前焼の狛犬に出会うなぁ

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■本殿■


1648年建立

■本殿■


国重文

■本殿■


勇ましい屋根瓦

■本殿■


地方にしちゃ
かなりデカい本殿でした

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■十麻里二柱神社■


交通安全のご利益が
あるらしいです

■十麻里二柱神社■


レトロな車の絵馬

■乳房神社■


すごい名前
ムラムラするわぃ

■乳房神社■


いろんな意味で
男女共にご利益がありそう

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■多理比理神社■


多理比理神を祀る

■十二神社■


吉備津彦名命の
親族など12柱を祀る

■十二神社■


いろんなデザインの
絵馬がありました

■吉備津稲荷神社■


宇迦能御魂神を祀る

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■櫻山神社■


櫻山茲俊命ほか
23柱を祀る
櫻山茲俊は
鎌倉時代末期の元弘の乱の際
後醍醐天皇に呼応して
この地で挙兵した人

■大山祇神社■


大山祇神を祀る

■境内の風景■


十二支のストリート

■境内の風景■


桃太郎も居ます

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■公孫樹■


天然記念物

■桃太郎像■


おっ!
境内の外にも神社があるぞ

■胡神社■


境内の外に鎮座

■胡神社■


キンキラキンの
エビスさんが居ました

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■御池■


昔はここで身を清めてから
参拝していたらしい

■御池■


石造・太鼓橋
昔の人の技術力に感動!

■御池■


石造・太鼓橋を渡ると

■厳島神社■


多紀理毘売命、市寸島比売命
多岐都比売命を祀る