広島県広島市南区堀越
平安時代末期、源義朝の死後、源義朝の側室・常盤御前は3人の子供を連れて平清盛の所へ助命嘆願に行ったらしい。 そしてその後に生まれたのが天女姫らしい。 天女姫はその名の通り天女にも似た美女だったが、不幸にも疱瘡(天然痘)という病気にかかってしまったらしい。 平清盛は全国の名医を集めて治療に専念したが、病が癒える事はなかったらしい。 そこで平清盛は、平家の守り神・厳島明神にすがる事にしたらしい。 1179年、天女姫を船に乗せ宮島に向け出港し、26日間の船旅の末、宮島に到着したらしい。 厳島神社で祈願した後、帰路に就いたが、急に天女姫の病状が悪化し、14歳の若さで息を引き取ったらしい。 平清盛は、遺骸を埋葬すべき場所を神に伺うと『これより東方七里、赤旗が建っている場所こそ埋葬の地である』というお告げがあったらしい。 平清盛は、船に遺骸を乗せ、東方へ向け漕ぎ進めると、お告げ通り赤旗が建っている丘があったらしい。 そんなこんなで、金銀12枚、手玉7つ、玩具類7個と姫が肌身離さず持っていた黄金仏などを副葬品として埋め、 その印として、せんだんの木を植えたらしい。 そして、その場所から東方八間の所にお堂を建て、阿弥陀如来を祀り、その脇に十二単で身を飾った天女姫の木像を安置したらしい。 そんなこんなで、その場所が現在の疱瘡神社らしい。
2017年10月24日
平清盛ゆかりの神社、疱瘡神社に到着!ヤバいです、神社に辿り着くまでの道のりが。幅30センチのあぜ道を通ったりしながら来ました! しかも自転車で!なにやってんだ、私!途中、あまりの可笑しさに笑いが止まらなくなりました。 この神社にたどり着くには2パターンの道があるのですが、どうやら私はハズレの道をチョイスしてしまったようです! いや、ネタになったのである意味アタリの道かも。寺社って、たまにありえない所にあったりします。 寺社巡りの楽しさってこういったとこにもあります。帰り道はアタリの道で帰りました。アタリといっても超急勾配の猛烈細道! この神社、車じゃ来れません!
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■疱瘡神社への道のり■
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■疱瘡神社への道のり■
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■疱瘡神社への道のり■
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■疱瘡神社への道のり■
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■疱瘡神社への道のり■
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■疱瘡神社への道のり■
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■疱瘡神社への道のり■
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■疱瘡神社への道のり■
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■本殿■
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■本殿■
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■本殿■
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■本殿■
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■本殿■
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■境内の風景■
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■境内の風景■
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■境内の風景■
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■四等三角点■
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■境内からの景色■
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■帰り道■
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■帰り道■
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■帰り道■
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ひと足のばして |
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■潜水艦のドック跡■
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■潜水艦のドック跡■
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■潜水艦のドック跡■
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■潜水艦のドック跡■
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■潜水艦のドック跡■
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■潜水艦のドック跡■
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■潜水艦のドック跡■
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■潜水艦のドック跡■
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■海田湾■
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■ゆ 1001級■
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