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小己斐明神

■場所

広島県広島市西区井口明神

■由緒

平安時代末期、平清盛が厳島神社を造営する際、鈴ヶ峰から木を切り出し刻印を打ってイカダを組み、 この明神の浜から送り出していたらしい。そんなこんなで、刻印の明神と呼ばれていたらしい。 1791年、己斐・旭山神社より分霊を勧請し、刻印の明神と併祀したらしい。 そして、小己斐明神と呼ばれるようになったらしい。 1913年、ご神体は井口・大歳神社に合祀されたらしい。

■参拝日

2018年2月5日

■日記

先日ツイッターで話題になったので、久々に訪れてみました、小己斐明神!高校時代の下校中、この公園で友達やらとジャレ合って青春してました。 当然、この鳥居と島の存在は知ってましたが、当時は噴水的な何かのモニュメント、もしくは日本庭園的なものだと勝手に思い込んでいました! これが神様だと知ったのは、それから15年以上も経った頃。寺社巡りを始めた初期の頃です! この池が海の満ち引きによって水位が変動するっていうトリビアにいたっては今日初めて知りました! 当時から池の水位の変動には気づいてましたが、それは雨のせいだなんだと・・・私のことだからきっとそう思ってたに違いない。 嗚呼、まだまだ知らないことばかり、広島通の道まだまだ遠し。そんなこんなで、鳥居に向かって2礼2拍手1礼。 ・・・って、こんなとこで礼拝してる人っているのか?この光景、高校時代の私が見たらきっと腹がツイストするほどに笑い転げてただろうね・・・ だってモニュメントに向かって礼拝してるんですもの!

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■西部埋立第二公園■


西部埋立第二公園内に
あります、小己斐明神
ってか、この公園
西部埋立第二公園っていう
名前だったのかぁ

■小己斐明神■


そんなこんなで、到着!
1913年にご神体は
井口・大歳神社に
合祀されたとのこと
って事で、現在は神様不在

■小己斐明神■


この地がまだ海だった頃
男明神と女明神という
2つの島があったらしい
夫婦島として有名だったが
昭和初期の国道建設の際
女明神島は消滅したらしい

■小己斐明神■


その後
船溜りの防波堤の1部となり
井口漁港として
使っていたらしい
現在、海は埋め立てられ
公園として残されてます

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■小己斐明神■


逆さ鳥居

■小己斐明神■


もういっちょ逆さ鳥居
鳥居は厳島に向かって
建ってるらしい

■小己斐明神■


今まで
全然気づきませんでしたが
確かに確かに島っぽい!
すげー!感動!

■小己斐明神■


現在は周囲を埋め立てられ
公園になってますが
池は海と繋がってるらしく
潮の満ち引きがあるらしい!

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■小己斐明神■


堤防は井口漁港時代の
名残りらしい

■小己斐明神■


そんなこんなで
逆さ堤防

■小己斐明神■


そして
逆さ小己斐島

■小己斐明神■


いやはや~
ここが海だったとはねぇ

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■小己斐明神■


1797年の小己斐明神

■小己斐明神■


明治時代初期の
小己斐明神

■西部埋立第二公園■


公園内にはデッカい
ライオン像があります

■西部埋立第二公園■


これ系の写真
絶対撮ってしまう

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■西部埋立第二公園■


遊具から
小己斐明神を望む

■西部埋立第二公園■


まぁまぁ大きな公園です