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新羅神社

■場所

広島県広島市安佐南区祇園

■由緒

1300年、安芸守護職・武田信宗が甲斐国より分霊を勧請して創建した神社らしい。 ご祭神は清和源氏・武田氏の先祖・新羅三郎(源義光)で、安芸武田氏の守護神として武田氏が滅びるまで崇敬が厚かったらしい。 1554年、安芸武田氏の本拠・銀山城が落城すると衰微の一途をたどったが、里人が氏神として守り続けて現在に至るらしい。

■参拝日

2008年11月29日

■日記

何でそうなったのかわからないけど、最近は山登りに夢中なんです。そんなこんなで、本日は武田山を登ってきました。 武田山といえば安芸武田氏の本拠・銀山城があった山。 登山道には銀山城の史跡が多数残っており、山登りをしながら城巡りもできるという一石二鳥の極幸タイム。 そんなこんなで山登りの後、せっかくなので武田山周辺にある安芸武田氏ゆかりの神社を巡ってきました! まず最初に訪れたのは新羅神社。 一見、朝鮮半島の王国を連想してしまう社名ですけど、それとは全然関係なく武田氏の先祖・新羅三郎(源義光)からきた社名とのこと。 ちなみに『しらぎ』ではなく『しんら』と読むようです。 境内はとても小さく特に見所はありませんが、安芸武田氏の知識をちょっと増やす事ができたのでそれなりに楽しめたひと時。 本日はこの神社の他に安芸武田氏が崇敬した熊岡神社&武田一族のお墓を巡りました。気がつけば安芸武田氏に捧げた1日となりました。

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■境内入口■


到着!

■参道■


小ぶりな丘の上に鎮座する
小さな神社です

■鳥居■


新羅と書いて
『しんら』と読むらしい

■手水鉢■


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■拝殿■


新羅三郎(源義光)を祀る
安芸武田氏の守護神として
武田氏が滅びるまで
崇敬が厚かったらしい

■拝殿■


新羅三郎(源義光)は
清和源氏・武田氏の先祖
近江国の新羅明神
(滋賀・三井寺新羅善神堂)で
元服したことから
新羅三郎と名乗る

■拝殿■


武田菱の蟇股
広島で武田菱が見れるとは!
なかなかレアな一品
ちょっちゅ感動

■本殿■


銅板葺きの流造

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■境内の風景■


拝殿外陣から望む

■境内の風景■


拝殿と鳥居

■夫婦ひのき■


ご神木です

■■


説明板の由緒書きには
正安2年(1200年)とあるけど
正安2年は1300年なんだな

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■広島経済大学■


神社前には
広島経済大学
ソフバンの柳田悠岐選手の
出身校です

ひと足のばして
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■武田山と火山■


武田山 → 標高 411m
火山 → 標高 488m

■武田山と火山■


武田山は甲斐源氏武田氏の
第9代当主・武田信宗が
築城した銀山城があった山

■武田山憩の森■


そんなこんなで
登山ついでに城巡り
いや
城巡りついでに登山
って、どっちでもいいってか!
武田山→火山を
縦走ピストンしてきました!

9:00

武田山憩の森に到着!
駐車場に車を停め準備開始

■登山道入口■


9:20

登山道入口で
ルートを確認していたら
ドラクエのごとく
お爺ちゃんが現る!
そして新米お山メンの為に
ルートや名所など
いろいろと教えてくれました
お爺ちゃんその節は
どうもありがとうございました!

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■登山道■


9:27

そんなこんなで、登山開始!

■木馬道跡■


9:37

説明板がない為
銀山城と関係するスポット
なのかどうかは不明

■登山道■


最初は登りやすい山道
あぁ~、これはいい、気持ちいい

■登山道■


徐々に急になってきます
途中、大倉屋敷への
分岐点がありましたが
今回はスルーして進みました

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■馬返し■


10:01

ここから先は馬が通れないくらい
急な坂になる為
馬がここで引き返した
って事でこの名がついたんだと

■馬返し■


そして大手道の防備の役目を
担っていた場所らしい

■登山道■


山を切り裂いたような道が
数多くある登山道でした

■登山道■


後に山登りのテクや情報など
いろいろと教えてくださった
ベテランハイカーさん達
登山歴はなんと40年!
ガチやがな!
あっという間に
姿が消えていった・・・
スゲっ!

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■登山道■


いい具合に木の根っこが
飛び出しててくれるので
根っこを手すり代わりにして
登りました

■登山道■


手の力が加わるだけで
だいぶ楽になります

■登山道■


たまにめちゃくちゃ優秀な
根っこがあります
手すりとして完璧な形!
間隔もバッチグー!

■登山道■


ふと馬返しの事を思い出す
確かにこれじゃ馬は通れない
下手すりゃ人も怪しい
ってか、昔からこの道が
あったかどうかも怪しい
多分、なかったと思う
どないやねん

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■御門跡■


10:24

城内への門があった場所
ここが銀山城南麓の
出入口だったようです

■御門跡■


当時は通路を直角にとる鉤の手に
石積みがあったとのこと
そんなこんなで
枡形の原型として
注目されている遺構らしいです

■御門跡■


もうすでに展望が良いです
そんなこんなで
岩に座って休憩&記念撮影

■登山道■


御門跡に別れを告げ
登山再開!
山頂に近づくにつれ
徐々に巨岩が増えてきます

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■千畳敷(本丸跡)■


10:42

本丸があった所らしい
千畳敷というだけあって
結構広いです
弓矢に使った小竹と
弦&矢をよく滑らす為の
椿が植えてあるらしい
ちなみに私は
植物の事は無知の為
どの木も同じに見えてしまう

■千畳敷(本丸跡)■


銀山城という名の通り
元々この山からは
金銀が産出されてたんだと!
安芸武田氏滅亡の際
残党が再起する為の資金として
山中の洞窟に先祖伝来の
純金の茶釜を埋め
目印として白南天を植えた
という伝説があるらしい!
白南天どこじゃー!
ってか
白南天ってどんな木じゃー!

■登山道■


そんなこんなで
千畳敷(本丸跡)に別れを告げ
登山再開

■登山道■


おっ、空が見えてきた!
もうすぐっぽい!

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■武田山 山頂■


10:50

そんなこんなで登頂!
喜びの記念撮影!
標高 411m

■武田山 山頂■


めちゃくちゃ良い景色!

■武田山 山頂■


深川方面を望む

■武田山 山頂■


広島市街地を望む
つかの間の城主気分
征服感を感じたひと時でした

日記の画像

■武田山 山頂■


銀山城は1221年、甲斐源氏武田氏の第9代当主・武田信宗が武田山・山頂付近に築城した山城
1221年の承久の乱で手柄をたてた甲斐守護職・武田信光が
承久の乱の恩賞として安芸守護に任命されたことが安芸武田氏の始まりらしい
安芸南部の豪族・熊谷氏、香川氏、己斐氏などを家臣に取り込むが安芸国を率いることはできず大内氏に従う
しかし武田氏は大内氏に反旗を翻す
中国の項羽並みの武勇の持ち主と恐れられていた安芸武田氏当主・武田元繁であったが
大内の命で出陣した毛利元就に討たれて戦死する
そして1541年、毛利元就に攻められ銀山城は落城し安芸武田氏は滅亡しました
1221年から1541年まで約300年も続いた武田氏一族の一大拠点!300年ってマジすごい!

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■三角点■


きたきたきた!
あったあったあった!
これが山頂の楽しみ!

■三角点■


お決まりの
三つ指で三角点タッチ!
頂きをいただきっ!

■武田山 山頂■


そんなこんなで、休憩

■武田山 山頂■


めちゃくちゃ高い山に
登ってる風だけど
たった411m!

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■武田山 山頂■


山頂には
めちゃくちゃ巨大な岩が
ゴロゴロと転がってます

■武田山 山頂■


これも銀山城の遺構
なのでしょうか?

■館跡■


山頂には館跡がありました

■御守岩■


戦前までこの岩の上に
社があったんだと

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■登山道■


そんなこんなで
武田山・山頂に別れを告げ
火山に向けて縦走開始!
ちなみに人生初の縦走!

■登山道■


登山道脇に小さな祠を発見

■登山道■


祠の中にはデフォルメされた
お地蔵さんがおられました
オンカカカビサンマエイソワカ
登山の安全を祈る

■観音堂跡■


11:47

当時ここに観音堂が
建っていたらしい
休息所として使われたり
戦略の密議が行われたり
戦に破れた者が自刃する場所
だったとのこと!

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■弓場跡■


11:51

名の通り弓場があった場所

■弓場跡■


弓場跡では
弓矢を引く事ができました
矢が思いっきり
破魔矢のお古だったのが
ちょっとウケました
ナイスリサイクル!

■弓場跡■


気分は那須与一
しかしなっかなか当たりません
当たるまで止めへんでぇ~

■弓場跡■


散乱する矢達
6回目でやっと当たりました!

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■火山■


そんなこんなで
弓場跡に別れを告げ登山再開
武田山から火山を望む
・・・とと遠いー!

■登山道■


き、きつい・・・
ゼェゼェハァハァ・・・

■登山道■


メンタルがやられ気味ですが
引き返すに引き返せない所まで
来てしまったので
頑張る以外に道がない

■登山道■


ゼェゼェハァハァ・・・
そそ空が見えてきた!
人の声も聞こえる!

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■火山 山頂■


12:55

そんなこんなで登頂!
喜びの記念撮影!

■火山 山頂■


標高 488m

■三角点■


きたきたきた!
楽しみの時間が!

■三角点■


って事で、お決まりの
三つ指で三角点タッチ!
頂きをいただきっ!

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神武天皇烽火伝説地


ってか、山頂には
神武天皇烽火(のろし火)伝説地
の碑がありました!!!
神話ファンの為
さすがにこれには大コーフン!
ちなみに
日本書紀にも古事記にも
この伝説の記述はない

1940年建立
皇紀2600年を記念して建立

神武天皇烽火伝説地


神武天皇烽火伝説を
ザックリと説明すると
神武東征の際、安芸国に入国

神武軍の到着を知った
安芸国の首長・安芸津彦命が
五日市の倉重までお迎えに行く

神武天皇は安芸津彦命の
お迎えをめちゃくちゃ喜ぶ

神武天皇烽火伝説地


神武天皇は安芸津彦命の案内で
火山・山頂に登り
『天皇はここに登っているぞ』
と烽火を上げたらしい
それが火山という名の由来らしい
その後、神武天皇は
埃宮(多家神社)に入り
7年間滞在したらしい
みたいな話です

神武天皇烽火伝説地


神武天皇と
同じ場所に立っている・・・
コーフン&コーフンの
ひと時を過ごす

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■火山 山頂■


木で隠れてる為
展望はイマイチです
西原、戸坂方面を望む

■火山 山頂■


沼田方面を望む

■火山 山頂■


Aシティーを望む

■火山 山頂■


お昼ご飯はコンビニパン

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■武田山■


そんなこんなで
火山に別れを告げ
再び武田山へ・・・
武田山→火山以上に
火山→武田山の方が
格段に苦しかったです!

■登山道■


縦走ピストンが
こんなにもキツいとは・・・
体力的にもキツいが
それよりもメンタル的にキツい

■登山道■


分岐点だらけです
黙々と無心に歩いてると
こういう有難いお知らせを
見逃してしまうので
周りを見ながら前を向いて
テクテク

■登山道■


14:53

有難いお知らせは
こういった所にも!
絶対に字を間違ってるけど
信じて進む

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■登山道■


なんだか焦る陽の高さ

■武田山憩の森■


15:32

そんなこんなで無事下山!

★山行記録★
時間 約6時間(休憩込み)
歩行距離 約5.5km

■武田山憩の森■


紅葉がめちゃキレイ!
登る前よりキレイに感じる!

■武田山憩の森■


武田山の
イメージキャラクター
たけちゃま

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武田一族郎党のお墓


下山後
武田一族のお墓探しをする
めちゃくちゃ探しまくって
なんとか到着!

武田一族郎党のお墓


毛利氏との合戦に敗れ
討死した武田一族郎党の
お墓らしい

武田一族郎党のお墓


遺跡感あふれる石積みに
手を合わす

武田一族郎党のお墓


めちゃくちゃ
わかりにくかったので
余計なお世話かも知れませんが
簡単で適当な地図を

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■やまクエ■


そんなこんなでポチッと
レベル19からの~
レベル21に昇格!

新米お山メン
これからも頑張ります!



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やまクエ
難易度レベルから選ぶ登山

■やまクエ■


★称号★
休憩所の人気者1

★累積歩行時間★
9時間25分

★累積標高差★
1277m

★累積歩行距離★
16km

※火山の山行記録は
累積に含まれてません