■場所
広島県東広島市安芸津町三津
■由緒
586~587年、執権職・青木兵部が宇佐八幡宮より分霊を勧請して片山という地に創建したのが始まりらしい。
その後、1105年に現在地に遷座したらしい。
立花村と三津村の氏神として古くから崇敬され、当時は亀山八幡宮と称していたらしい。
1532~1555年、榊山八幡宮と改称したらしい。
1648~1651年、2度の火災で焼失した為、由緒などの詳細は不明らしい。
■参拝日
2018年11月24日
■日記
牡蠣祭りでたまに来ている安芸津。逆に牡蠣祭り以外で来る事のない安芸津。私、貝類がNGな為、広島人でありながら牡蠣が食べれない。
なのに牡蠣祭りが好きというよくわかんない男。そんな事より以前牡蠣祭りに行った際、榊山八幡神社と重松神社の存在を知りました。
その日は時間的な都合で巡る事ができなかったので、
次回の牡蠣祭りの時にセットで巡ろう・・・と決めた途端に牡蠣祭りに誘われなくなったという空回り!
多分これは牡蠣を軽蔑した目で見ていた私に対して、牡蠣の神様が下した神罰なんだろう。
そんなこんなで、今年も誘われないんだろうと勝手に決め付け、榊山八幡神社を参拝!
境内は予想以上に広く、そして立派!安芸津町護国神社があり、酒の神を祀る松尾神社がある。
拝殿前には巨大な酒樽の石造物まである。どうやら安芸津は銘酒・広島酒の基礎を築いた吟醸酒の父・三浦仙三郎という方の出身地らしい。
安芸津出身の有名人といえば岡本綾子と安芸乃島しか思いつかなかったけど、こんな立派な偉人がいたとは!
その他、立派な神楽殿があり、龍(見た事ないけど)のウロコっぽい立派過ぎる瓦塀があり。気がつきゃ時計の針が1周以上。長居してしまった。
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■境内入口■
到着! 石柱は1859年建立
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■鳥居①■
鳥居①をくぐって
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■参道■
参道を登ると
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■手水舎■
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■鳥居②■
思いのほか大きな境内
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■参道■
整然と建ち並ぶ石灯籠
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■狛犬①■
1815年作 吽さんの耳は立ってて
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■狛犬②■
阿さんの耳は寝てます
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■随身門■
立派です
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■随身門■
随身門をくぐると
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■狛犬③■
1917年作
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■狛犬④■
広島玉乗り型の狛犬
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■拝殿■
1907年改築
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■拝殿■
応神天皇、神功皇后 宗像三女神を祀る
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■拝殿■
上 → 麒麟の彫刻 下 → 龍と戦う勇者 気合の入った ステキな彫刻でした
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■拝殿■
獏の木鼻
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■拝殿■
逃げる波兎の彫刻
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■拝殿■
追う波兎の彫刻
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■拝殿■
波だけの彫刻
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■本殿■
正面に唐破風と 千鳥破風を持つ入母屋造 なかなかの複雑構造
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■石造・酒樽■
拝殿前には 石造の酒樽があり
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■石造・酒甕■
石造の酒甕まであるという
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■松尾神社■
さらには本殿裏に 酒の神を祀る松尾神社が あるという!
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■三浦仙三郎像■
どうやらこの神社は 銘酒・広島酒の基礎を築いた 三浦仙三郎さんゆかりの 神社らしい 三浦仙三郎さんは 広島杜氏生みの親で吟醸酒の父 軟水醸造法を大成した 安芸津の偉人らしい
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■安芸津町護国神社■
境内には 護国神社がありました
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■安芸津町護国神社■
太平洋戦争で戦没した 安芸津出身の英霊を祀る
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■安芸津町護国神社■
十六菊花紋に 桜花紋の神紋 護国の英霊を桜に例え 護国神社の多くが 桜花紋を使用してます 十六菊花紋はご存知 皇室で使われている紋
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■安芸津町護国神社■
蟇股にも十六菊花紋に 桜花紋の神紋
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■旌忠碑■
多分、忠魂碑的な碑と 思われます
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■旌忠碑■
『せいちゅう碑』と 読むらしい
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■旌忠碑■
砲弾型のチェーン柱が なかなかクール
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■石灯籠■
1907年建立
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■神楽殿(多分)■
絵馬殿かと思ってましたが 境内に神楽殿寄付者の碑が あったので 多分これは神楽殿
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■神楽殿(多分)■
神楽殿内には いい味出まくりの絵馬が 多数掲げられてました
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■瓦塀■
ってか! 龍(見た事ないけど)の ウロコっぽい瓦塀がスゲー! 匠の技が炸裂しまくってました!
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■瓦塀■
そして経の巻タイプの 鬼瓦がズラー! 大砲が並んでるようで 超クールでした!
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■石指天満宮■
菅原道真を祀る
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■物置■
本殿裏には味のある物置
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■物置■
引退した社などが 置かれてました
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■境内からの景色■
三津湾を望む
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