京都府京都市右京区嵯峨大沢町
真言宗十八本山 第5番/近畿三十六不動尊霊場 第13番/神仏霊場巡拝の道 第89番
平安時代初期、嵯峨天皇の離宮内に、空海が五大明王を安置するお堂を建て、修法を行ったらしい。 876年、嵯峨天皇が崩御してから30数年後、淳和天皇の皇后が離宮を寺に改めたのがこのお寺の始まりらしい。 鎌倉時代、亀山法皇や後宇多法皇が入寺し、ここで院政を行った為、嵯峨御所と呼ばれたらしい。 なかでも後宇多法皇は、伽藍の整備に力を尽くすと共に、大覚寺を仙洞御所とした事から、 大覚寺統(南朝)が起こり、持明院統(北朝)との皇位継承をめぐる争いが起きたらしい。 これが後の南北朝分裂につながるきかっけになったらしい。 1392年、南北朝の和解が成立し、このお寺で南朝最後の天皇・後亀山天皇から北朝の後小松天皇に三種の神器が引き継がれたらしい。 1467~1477年、応仁の乱で焼失したらしい。その後、織田信長、豊臣秀吉が寺領を寄進し、さらに徳川家康の援助などにより復興したらしい。
2014年12月13日
第30回 青春18切符の旅!まず最初に訪れたのは、真言宗大覚寺派の大本山であります大覚寺! 広大な境内にたくさんのお堂。皇室ゆかりのお寺ということもあって、とてもお上品な風と時間が流れる大寺院でした! そんなこんなで、廊下づたいにお堂からお堂へ。鴬張りの廊下の音、廊下から見る白砂と勅使門、お上品な風、襖絵…etc。 これぞ京都!京都に来たぞー!ってな感じで、テンションが上がる上がる!心、大荒れ。
ひと足のばして |