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大善寺

■場所

広島県三原市西町

■由緒

もともとは小早川隆景の居城・新高山城の山麓にあったお寺らしい。 1580年、三原城の築城に伴い、現在地に移転したらしい。 1652年、徳川幕府3代将軍・徳川家光の落し子といわれる月姫が、三原浅野家3代・浅野忠真の側室になったらしい。 そんなこんなで、月姫の祈願所となったらしい。徳川幕府は5000石の御化粧料を下賜し、 将軍家の菩提寺である増上寺の寺号を与え、増上山・大善寺となったらしい。そして徳川家の家紋である三つ葉葵の使用を許可したらしい。

■参拝日

2019年2月24日

■日記

釜山寺から徒歩5分、大善寺に到着。ここは三原・・・観光寺でも札所寺でもないのに御朱印の列!!! 広島にて、厳島神社以外で御朱印の列を見たのは初めてだ!本日は『みはら御朱印めぐり・お寺のがっこう』というイベントの2日目。 三原ですら行列を作ってしまう御朱印ブーム・・・恐るべし。そんなこんなで、私も列に並ぶ。 待ってる間、女性に話しかけられたので、お話しをしながら並ぶ。 にしても、何か違和感を感じる・・・ きっとこの方は私が車マンだとわかった上で話しをしている・・・むむむ・・・きっとバレてる、いや絶対バレてる。 ヤバい・・・汗が止まんない!しかしここは好感度爆上げのチャンス。いい人ぶろぉぉぉ!そんなこんなで、あの日の女性様へ。 あの日の変なオジさんは車マンです。大正解です!(笑)恐るべし、御朱印ブーム!

■ご朱印■

ご朱印

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■境内入口■


到着!

■山門■


浄土宗のお寺です

■山門■


骨々しい作りの蟇股

■山門■


そんなこんなで
山門をくぐると

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■手水鉢■


1629年作

■鐘楼■


袴腰タイプの鐘楼

■本堂■


ご本尊の阿弥陀如来立像は
伝・快慶作
あくまで伝です!

■本堂■


墓石群と本堂

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■本堂■


扁額には山号の増上山

なんとっ!
徳川幕府から徳川家の菩提寺
増上寺の寺号を与えられて
それを山号にしたんだと!

■本堂■


って事で
徳川家の家紋である三つ葉葵の
使用が許されたお寺なんだと!

■本堂■


木鼻①

■本堂■


木鼻②

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■本堂■


欄間の彫刻
浄土系のお寺でたまに見かける
追う獅子と逃げる獅子

■本堂■


■本堂■


■本堂■




?度廣・・・なんじゃろ?

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■釈迦堂■


本堂と向き合って建ってます

■境内の風景■


何のお堂でしょ?

■地蔵堂①■


六地蔵さんがおられました

■地蔵堂②■


古そうなお地蔵さんが
おられました

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月姫(月渓院)の墓


月姫とは徳川幕府3代将軍
徳川家光の落し子らしい

江戸城内で遊戯中
三原浅野家の浅野忠真と出会う
浅野忠真が
本来遊んではならない場所で
遊んでいた姫を戒めた事により
浅野忠真に一目惚れ
周囲に大反対されるが
月姫の意思は固く
幕府は仕方なく下賜という形で
忠真に嫁がせたらしい

月姫(月渓院)の墓


姫が外様大名である浅野家の
しかも家老職の側室となったのは
異例中の異例だったらしい
このことは三原浅野家はもちろん
主家の広島藩も2人の扱いに
苦労したらしい
そんなこんなで幕府からの
特別な配慮により財政は潤い
三原城下は大発展したらしい

■庫裏■


先ほど参拝した法常寺同様
京都のお寺で
よくお見かけするタイプの
庫裏でした
広島でこのタイプの庫裏は
ちょっちゅ珍すぃ
梁と貫と束がむき出しで
白壁とのコントラストがステキ

■境内の風景■


本堂と庫裏

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■墓石群■


おぞましい数の無縁仏

■石造・卒塔婆■


1910年建立

■勢至丸像■


幼少期の法然上人です

■全景■


コンパクトにまとまった
伽藍でした