寺社とご朱印の紹介サイト

ロゴ

浄安寺

■場所

広島県広島市佐伯区五日市町石内

■由緒

創建年は不詳らしい。当時、お寺の前には古代山陽道が通っていたこともあり、古くから多くの人々が旅の安全や病気の回復を願う為に訪れていたらしい。 その後、衰退するが、本尊は地元の人々に守られ、現在に至るらしい。

■参拝日

2018年10月24日

■日記

本日は免許センターに用事がありました。用事が済んだ後、せっかくなので石内近辺をブラブラしてきました。 そんなこんなで、臼山八幡神社から五月が丘方面に歩いてると浄安寺というお寺を発見。って事で、立ち寄る。 ミニマム境内にミニマムなお堂がポツン。お寺と呼ぶにはあまりにもお粗末なビジュアル。何となく寺歴の最終章にいるような気がしました。 特に見所もなくサクッと参拝が終わるんだろうなぁ~と思ったら大間違い!お堂の中には平安時代後期作のステキ仏が安置されてました! 一瞬にして脳から喜び成分100%の汁が溢れ出た私は、もっすごいスピードで単眼鏡を取り出す。まさか仏像観賞ができるとは! これぞ地方仏ってな感じの、下手上手な作風にドキドキが止まんない。 ご本尊の両脇に立つ破損仏にもドキドキが止まんない(破損仏が大好き)。破損仏4体はそれぞれ大きさが異なる天部&神像さん。 小さい方は十二神将さんの1部でしょうか。大きい方は四天王さんでしょうか。仁王さんにも見える。 このパターンは多分きっと、今は無き他のお堂から集められたもの、もしくは前本堂に安置されてたものなんだろうなぁ。とか適当な事を思いつつ。 ビックリしたのは、ご本尊の薬師さんが破損箇所もなく色の剥落以外はほぼ完全体だったこと! 約800年、大切に大切に守られてきた仏さんなんだろうなぁ、昔はちゃんとしたお寺だったんだろうなぁ、 この地域においてこのお寺は無くすことのできない大事なお寺なんだろうなぁ、 とか思いながら気がつきゃ相当な長居!廃寺コース真っしぐらと思っていたけど、 地元の人が大切に守ってくれてるので、この先もずっと残るお寺だな。とか適当なことを言いつつお寺を後にしました。

日記の画像 日記の画像 日記の画像 日記の画像

■境内入口■


到着!
ってか、発見!

■参道■


そんなこんなで
細い参道を歩くと

■本堂■


小さなお堂がポツーン

■本堂■


堂内には
ステキな仏さんが
おられました

日記の画像 日記の画像 日記の画像 日記の画像

■本堂■


中央に
ご本尊・薬師如来坐像
ご本尊の両脇には
天部&神像の破損仏

■本堂■


『薬師如来坐像』
平安時代後期作 県重文
像高 約85cm
右手は施無畏印
左手には薬壺
指は全て揃い
色の剥落以外はほぼ完全体

■本堂■


『天部&神像』
一木造り 県重文
小さい方は十二神将さんの
1部でしょうか
大きい方は
四天王さんでしょうか
仁王さんにも見えます

■本堂■


『天部&神像』
一木造り 県重文
大きい方は腰回りが太く
平安仏の特徴がよく出てます
と偉そうに言ってみる
いやはや破損仏好きには
たまらんひと時でした!

ひと足のばして
日記の画像 日記の画像 日記の画像 日記の画像

■石内公民館■


石内公民館前にある
周辺マップによると
公民館の裏に
弥生式住居があるとのこと!

■石内公民館■


って事で
石内公民館の裏に向かうと

■弥生式住居■


駐車場に
弥生式住居がポツーン!

■弥生式住居■


1980年復元
下沖遺跡の遺構を
復元したものらしい
石内地区の
シンボル的存在とのこと

日記の画像

■難波一甫流の碑■


難波一甫流の師である
大下形次郎の記念碑
難波一甫流とは
藩政時代に武器を持たない
農民や町人が護身術として
学んだ武術らしい
安芸国の南部などで
普及した流儀なんだと