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金剛峯寺

■場所

和歌山県伊都郡高野町高野山

■札所

真言宗十八本山 第18番/神仏霊場巡拝の道 第13番

■由緒

高野山は『一山境内地』と称し、高野山全体が総本山金剛峯寺らしい。 816年、嵯峨天皇から高野山の地を賜った空海が、 1000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地である高野山を八葉蓮華(八枚の花弁をもつ蓮の花=曼荼羅の象徴)と見なし、 山上に曼荼羅世界を現出させようとしたらしい。しかし、交通が不便な山中のため、工事ははかどらなかったらしい。 なもんで、空海の在世中に完成した堂宇はごくわずかだったらしい。 空海が他界した後、弟子であり実の甥・真然が約20年かけて根本大塔などの伽藍を整備したらしい。 その後、京都の東寺との確執もあり、994年には落雷による火災の為ほとんどの建物を失い、僧はみな山を下りるという、衰亡の時期を迎えたらしい。 1016年頃から定誉によって再興されたらしい。平安時代末期には白河上皇、鳥羽上皇が相次いで参詣したらしい。 戦国時代、武力を蓄えていた高野山は、比叡山焼き討ちや石山合戦を行った織田信長と対立するようになったらしい。 しかし、ほどなく信長が本能寺の変で倒れたため、高野山は難を免れたらしい。 続く豊臣秀吉は、高野山に寺領の返還を迫るなど圧力をかけたが、武士出身の僧・木食応其が仲介者となって秀吉に服従を誓ったため、 高野山はなんとか存続することができたらしい。その後、秀吉は僧・木食応其に帰依するようになり、寺領を寄進し、 亡き母の菩提のため青巌寺を建立したのが金剛峯寺の始まりらしい。 当時は秀吉の母の剃髪が納められていたので剃髪寺と呼ばれていたが、後に青巌寺と改め、木食応其上人の住坊となったらしい。 1868年、行政官から青巌寺を金剛峯寺へ改号するように指導されたらしい。さらに隣接する興山寺を庁舎として使用することになったらしい。 その後、この2つのお寺が合併し、総本山金剛峯寺として現在に至るらしい。

■参拝日

2013年4月27日

■日記

2013年、ゴールデンウィークの旅、初日!お寺巡りを始めた頃から、高野山がずっと気になってました。 ってか、四国88ヶ所を結願して約1年10ヶ月、まだお礼参りもしてないし! そんなこんなで、今年の目的地は日本屈指の霊地と言われる高野山をチョイス!ウワサによると山内に117ものお寺がある宗教都市らしいです! 宗教都市ってメチャ魅力的なネーミングじゃん。一体全体、どんな町なんじゃろ。想像しただけでゾクゾクするぜ、手に汗にぎるぜ! 宗教都市・・・お寺だけで形成された町で、歩けばお寺に当たる状態で、町のあちらこちらでお坊さんが歩いていて、なんなら町全体が私語厳禁で、 町中に線香の香りがして、鬱蒼とした杉の森の中にお寺が点在していて、そして霧の中を歩く、などなど厳粛ピリピリマジモード全開の町・・・ 勝手にそんなイメージを膨らませながら、酔いそうになるくらいのクネクネ山道を延々と運転してました! そんなこんなで、クネクネ山道を走ること約30~40分、金剛峯寺前の駐車場に到着!ってか、想像してたのと全然ちがう!メチャ観光地じゃん! なんかデカい役所みたいなビルも見えるし!そんなこんなで、多少のガッカリ感は否めない。しかし、気持ちの切り替えの早さには定評がある私! 電光石火で気持ちを観光モードに切り替える!バッチリ観光モードに切り替えたところで、まずは金剛峯寺で参拝。 屋根の上に桶が置いてあったり、顔ハメこうやくんに出会えたり、襖絵や庭園を拝観できたり、見所盛り沢山で長い時間楽しめるお寺でした! あと説法を聞きながら、お茶とお菓子の接待を楽しめた事が良い想い出となりました!

※ 高野山の全ての土地は金剛峯寺が所有しているらしい。 しかし本日巡った8ヶ所をこのページに集約すると、とてつもなく巨大なページになってしまいそうなので、各名所ごとにページを作る事にしました!

■公式ホームページ

高野山真言宗 総本山金剛峯寺 >>

■ご朱印■

ご朱印

金剛峯寺

  • 金剛峯寺
  • 霊宝館
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■高野町■


到着!

■高野町■


高野山は
117ものお寺がある
宗教都市らしい!

■境内入口■


そんなこんなで
金剛峯寺前の駐車場から
徒歩10秒
金剛峯寺に到着!

■境内入口■


4月の終わりなのに桜満開!

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■参道■


■参道■


参道脇には
桶が整列してました

■手水舎■


■参道■


多分、高野槙
モリゾーっぽくもあり
かまやつっぽくもあり

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■山門■


1593年再建

■山門■


金剛峯寺の中で
1番古い建物

■山門■


昔はこの門を正面から
出入りできるのは
天皇・皇族、高野山の重職
だけだったらしい
今でも一般の僧侶は
小さな入口を利用している
らしい

■山門■


結構、重厚な門です

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■山門■


木鼻

■山門■


格子付きの門でした

■鐘楼■


1864年再建

■鐘楼と山門■


ステキです

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■大主殿■


1864年再建

■大主殿■


主殿内では
大広間や豊臣秀次自刃の間や
様々な間を拝観できます

■大主殿■


屋根の上には天水桶

■大主殿■


天水桶は
普段から桶に雨水を溜めておき
屋根に桶の水をまいて湿らし
火災時、少しでも
類焼を食い止める為の
役目らしい

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■大主殿■


大玄関と小玄関

■大主殿■


大玄関の彫刻

■大主殿■


大玄関の彫刻

■大主殿■


大玄関の木鼻

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■大主殿■


長い廊下を渡ると
別殿、新別殿に着きます

■大主殿■


蟠龍庭
デカい庭石でした

■大主殿■


蟠龍庭

■大主殿■


新別殿にて
法話を聞きながら
お茶を頂けます
ちなみに新別殿の
広さは169畳

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■会下門■


1864年再建

■会下門■


ステキです

■顔ハメ■


こうやくん

ひと足のばして
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■大門■


1705年再建 国重文

■大門■


『高』『野』『山』

■六時の鐘■


1618年、福島正則が建立
現在でもAM6~PM10まで
偶数時に時を知らせてるらしい

■霊宝館■


高野山寺院の
お宝を多数展示

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■高野町の風景■


お~、なんかスゲー!

■お土産■


お土産に
ごま豆腐を買いました

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■広目天像■


鎌倉時代作 国重文
快慶作
・・霊宝館にて・・
~画像はポストカードより~

■深沙大将立像■


鎌倉時代作 国重文
快慶作
・・霊宝館にて・・
~画像はポストカードより~

■不動明王坐像■


平安時代後期作 国重文
・・霊宝館にて・・
~画像はポストカードより~

■弘法大師像■


・・霊宝館にて・・
~画像はポストカードより~