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薬師院(こぬか薬師)

■場所

京都府京都市中京区釜座通二条上ル大黒町

■札所

京都十二薬師霊場 第9番

■由緒

782年、天台宗の開祖・最澄が16歳の時に一刀三礼で薬師仏7体を彫刻し、その内の1体を美濃国の医徳堂に安置したらしい。 1230年、全国に疫病が流行した際、薬師院の住職の夢枕に 『我が前に来れば一切の病苦を取り除こう。来ぬか、来ぬか』とお告げがあったらしい。 それを知った人々がこのお寺を訪れてお祈りすると病気が平癒した事から、来ぬか薬師と呼ばれるようになったらしい。 戦国時代、上洛を果たした織田信長が来ぬか薬師のご利益を聞きつけ、美濃国からこの地に移したらしい。 1688年、天台宗から黄檗宗に改宗し、鉄面禅師が再興したらしい。 1864年、蛤御門の変で焼失し、1889年に縮小再建したらしい。

■参拝日

2019年2月16日

■日記

御金神社で参拝後、どっか近くに寺社がないかなぁと思いスマホをポチポチやってると、あったお寺が。そんなこんなで、薬師院に到着! ガレージみたいな境内にお堂がポツン。京都では珍しくセルフサービスの御朱印。 京都でセルフサービスって何年ぶりだ???いつもならズコってなるセルフサービスですが、京都だとレア感あってウキっとなります。 ありがたや。境内はお堂がひとつ。宝形造・・・と見せかけて、宝形造と切妻を合体させた変則タイプのお堂! 前半が宝形造で後半が切妻というハーフ&ハーフ。いやはや、本日も面白い物が見れて有難き幸せ。 そんなこんなで、境内を後にし二条城を一周してテクテクと宿に戻りました。

■ご朱印■

ご朱印

京都十二薬師霊場

  • 京都十二薬師霊場
  • 不来乎(こぬか)薬師
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■境内入口■


到着!
黄檗宗のお寺です

■境内入口■


ガレージみたいな境内に
お堂がポツン

■境内入口■


昔はこの町内一帯が
境内だったらしいけど
現在は本堂と庫裏を残すのみ

■手水鉢■


こぬか薬師は
水薬師、蛸薬師と並ぶ
京都七薬師の1つ

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■本堂■


そんなこんなで
特に見所がないので建物観賞
宝形造だなぁ・・・
と思っていたら!

■本堂■


なんと後半部分が切妻!
なんじゃこりゃーでした!

■本堂■


正面から見たら宝形造で
後ろから見たら切妻・・・
宝珠付きの切妻って
なかなか出会えないでよ!
こりゃ珍すぃ

■本堂■


お互い一歩も譲らない感
なんかスゴいよ!

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■本堂■


木鼻

■本堂■


蟇股

■香炉■


1865年作

■御朱印■


御朱印は
セルフサービスでした
ちなみに
お寺の方がおられる時は
隣りの庫裏にて
直書きしてもらえるとの事です

ひと足のばして
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■二条城■


こぬか薬師から徒歩5分
何度もここに来てるけど
いつも早朝か夕方で
1度も門をくぐった事が
ありません!

■二条城■


嗚呼、今日も間に合わなかった
仕方ないので
お城を1周して宿に帰る

徳川家康が上洛する時の
宿所として築城したお城です

■二条城■


1603年築城
主な城主は徳川家
1871年廃城
1994年、世界遺産に登録

大政奉還や大正天皇の即位の
儀式の場などで有名なお城

■二条城■


(注①)室町時代
足利尊氏~足利義満まで
3代の将軍が屋敷を構えた
旧二条城とは別物

(注②)織田信長が京に滞在中の
宿所として整備した
二条城(二条新御所)も別物

(注③)本能寺の変の後
豊臣秀吉が京の拠点とした
二条第も別物

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■二条城撮影所跡■


1910年に
日本最古の映画会社の1つ
横田商会が開設した
京都初の撮影所