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光政寺

■場所

広島県東広島市高屋町白市

■札所

広島新四国八十八ヶ所霊場 第39番

■由緒

1503年、白山城主・平賀弘保が平賀家の菩提寺として創建したお寺らしい。 1600年、関ケ原の合戦後、毛利氏の防長移封にともない、平賀元相も長州に移ったらしい。 以来、廃寺となり荒廃したらしい。 その後、古松の間に埋没していたご本尊の頭部を平賀家の末裔・木原夢想が掘り出し、 鎌倉時代の慶派仏師・湛慶がその頭部を胸部に納め新たに観音像を作ったらしい。

■参拝日

2019年7月17日

■日記

広島新四国・第39番札所・光政寺に到着。現在、光政寺は無住のお寺になっており、全く生命感のない冷たい空気が支配した古ぼけたお寺さんでした。 いい意味で不気味に、いい意味で荒廃した境内が超私好み。このゾクゾク感がたまんない! 誰もいないのが怖いけど誰かがいてもそれはそれで怖い。そんな事より、ご本尊はなんと運慶の息子・湛慶作だというぅぅぅ! 是非とも拝見したいっ!と思うも、堂内に入る事ができず・・・残念。 広島新四国公式ホームページによると、室町時代にお寺を創建して、江戸時代に荒廃して、 その後、鎌倉時代の仏師・湛慶がご本尊を作ったという・・・うんうんって、おいっ!時系列、滅茶苦茶じゃないかっ(笑) ご本尊の湛慶説・・・怪すぃ。ちなみに御朱印は28番の道隆寺で頂けます。

■ご朱印■

ご朱印

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■境内入口■


到着!
白山城主・平賀氏の菩提寺

■石柱■


1960年建立

■参道■


味のある質悪な
コンクリ階段を上ると

■手水鉢■


1687年作

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■本堂■


1688~1704年建立

■本堂■


広島県真言宗教団のお寺です

■本堂■


木鼻

■本堂■


蟇股

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■宝篋印塔■


1734年建立
木原保満が寄進

■石灯籠■


1722年建立

■地蔵堂①■


新しめのお地蔵さんを安置

■地蔵堂②■


天井が青空でした

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■庫裏(多分)■


現在、無住のお寺の為
廃墟となっております

■境内の風景■


本堂と宝篋印塔

■境内の風景■


本堂前から望む

■境内の風景■


荒廃加減がハンパない
このゾクゾク感がたまんない

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■六地蔵に続く道■


なかなかのスリル

■六地蔵■


1734年作
木原保満が寄進

■六地蔵■


像高90cmの立像5体と
像高60cmの坐像1体

■六地蔵■


白市の石造物レベルは
結構高いです

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■地蔵菩薩坐像■


首無地蔵は1733年作

■地蔵堂②■


地蔵堂の裏には謎の洞穴
どこかに続いていたら浪漫

■鶯塚へ続く道■


道標がこんな感じなので
勘で進む

■鶯塚■


1793年、松尾芭蕉の門人である
志太野坡の高弟・風律の13回忌に
白市の弟子達が建立した
追慕の碑

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■木原家の墓地■


芸南屈指の豪商として栄えた
木原家の墓地

■東町ふれあい公園■


境内入口にあります

■東町ふれあい公園■


公園内は展望台となっており
遠~くに白市の町並みを
望むことができました

■東町ふれあい公園■


そんなこんなでちょっと休憩

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■御朱印■


ちなみに御朱印は
安芸郡府中町の道隆寺で
頂けるとのこと
って事で後日、道隆寺へ

ひと足のばして

● 白市の歴史

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■白市の町並み■


戦国時代、平賀弘保が築いた
白山城の城下町として栄えた町

■白市の町並み■


江戸時代、三次、久井と共に
牛馬市が開かれ
最盛期には期間中500頭の牛馬が
集まったらしい

■白市の町並み■


牛馬市の期間中は
芝居や歌舞伎や行商などが
数多く見られ
大勢の人々で賑わったらしい

■白市の町並み■


また広島、呉、
竹原、尾道、三次などへ
1日で行ける距離であった為
古くから交通の要衝で
市場町だけじゃなく
宿場町としても栄えたらしい

● 旧・木原家住宅

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■旧・木原家住宅■


1665年建立 国重文

町家としては日本で6番目に
古い建物なんだと!

■旧・木原家住宅■


木原家は
白山城主・平賀氏の一族で
酒造業や塩田業などを営み
芸南屈指の豪商として活躍

■旧・木原家住宅■


相当な豪商で
超お金持ちだったらしく
広島藩主の浅野家にも
お金を貸していたらしい

■旧・木原家住宅■


そんなこんなで見学開始
ちなみに
ガイド付きの見学となります

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■旧・木原家住宅■


部屋の入口が段になってます
これは身分が高い人が
入る部屋という意味らしい
敷居が高いとは
ここからきてるんだと

■旧・木原家住宅■


私みたいな下民は
上の段に上がる事は許されない
いや家に入る事すら
許されなかっただろう・・・

■旧・木原家住宅■


相当なお金持ちだった為
命を狙われる事もあったようです
そんなこんなで防犯上
外側には引手はなく
簡単に部屋に入れない仕組みに
なってます

■旧・木原家住宅■


内側には引手があります
面白いなぁ~

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■旧・木原家住宅■


手前 → 座敷
奥 → 店

■旧・木原家住宅■


座敷の床の間は栗の柱
あえてカンナで深く傷を
入れてます
これはデザインなんだと

■旧・木原家住宅■


このような柱は珍しいらしい
粋だね、お洒落だね

■旧・木原家住宅■


鬼瓦には寛文5年の文字
この鬼瓦の銘によって
この建物の建立年が
判明したらしい

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■旧・木原家住宅■


神棚は当時のままなんだと!

■旧・木原家住宅■


この石仏はもともと光政寺に
安置されていたものらしい
ちなみに木原保満が寄進

■旧・木原家住宅■


先に見える戸は
武士専用の入口なんだと

■旧・木原家住宅■


身の危険を感じた時は
この小窓から脱出!

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■旧・木原家住宅■


曲がった梁
曲がった梁・・・
嗚呼、曲がった梁・・・

■旧・木原家住宅■


何だったかなぁ・・・
この梁についてガイドさんから
色々と教えてもらったんだけど
思い出せない・・・

■旧・木原家住宅■


屋根裏部屋は
お客さんが来ない部屋なので
土壁の雑な(いい意味で)造りに
なってます

■旧・木原家住宅■


石こたつや格子炉などを展示

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■旧・木原家住宅■


裏庭はグリーンな世界
当時、このスペースは
居住する為の家が建ってたんだと

■旧・木原家住宅■


何かの建物があったのでしょう
何が建ってたのでしょう
ガイドさんに質問するも
ふんわりとスルーされる

■旧・木原家住宅■


井戸が2つありました
手前の井戸は
お茶とかお酒を造る用の井戸

奥の井戸は
生活用水として使用した井戸で
白山城内の井戸から引いてきた
井戸とのこと

■旧・木原家住宅■


かつて
光政寺にあったお堂の宝頂
お堂が荒廃した事により
この家に移ってきたんだと

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■旧・木原家住宅■


店の表側には格子戸
出格子じゃないのが珍しい

■旧・木原家住宅■


木原保満は
江戸時代に活躍した豪商
製塩、酒造、両替などを営み
芸南屈指の豪商となったお方
各地の寺社に多くの石造物を
寄進しています
ちなみに木原保満と書いて
『木原やすま』と読むらしい

■旧・木原家住宅■


ファイルを持って
一生懸命にガイドしてくれます
結構な情報量ですこのファイル!

■旧・木原家住宅■


そのファイルが欲しい・・・
途中からファイルの盗撮に
精を出す私・・・
学生時代の
カンニング癖が直らない

● 白市の町並み

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■勝田家■


江戸時代後期~末期建立
醤油醸造を生業としていたらしい

■重満家■


江戸時代末期~明治初期建立
酒造業を生業としていたらしい

■伊原惣十郎家■


1917年建立
鋳物製造業を生業とし
京都御所の灯籠や
厳島神社の青銅大灯籠を鋳造

■舛木家■


明治時代後期建立

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■伊原八郎家■


大正時代建立

■伊原八郎家■


ステキです

■恵美須神社■


旧・木原家住宅隣りに鎮座

■恵美須神社■


白市の町を見守ってます

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■白山城跡■


標高314.1mの山に構えた
平賀氏の居城
平賀氏は関ケ原の合戦後
毛利氏と共に長州に移る

■白市の町並み■


いろいろと盛沢山ですが
とっても小さな町の為
1時間くらいで
全て巡れると思います

■白市の町並み■


ちなみに
私は3時間かかりました
さすがです(自分で言うな)

■白市の町並み■


ステキな町でした