京都府京都市東山区泉涌寺山内町
京都七福神 第4番(布袋尊)
806年、弘法大師が唐で感得した荒神像を安置したのが始まりらしい。 1577年、織田信長が50石を与えたらしい。1597年、前田利家が諸堂の再建を行ったらしい。 徳川家も別朱印と100石あまりを与えたらしい。 1701年、赤穂を退き浪人となった大石内蔵助は、外戚の来迎院住職を頼り、山科に居を構えて来迎院の檀家となったらしい。 大石内蔵助は、境内に茶室・含翆軒を建立し、茶を楽しむと共に仇討ちの策を練り、赤穂浪士と密議を行ったらしい。
2011年8月27日
泉涌寺の塔頭・来迎院に到着! 泉涌寺の参道からちょびっと離れた場所にひっそりとたたずんでました。 目立たない場所に位置しているからか、境内には参拝者が誰1人もいませんでした。 そのかわり、蚊がメッチャいます!蚊密度がハンパなかったです。お寺の境内では殺生をしないという私の中の法律を守った為、 気が狂いそうな痒みに耐えながらの参拝になりました!蚊がベラボーに多いけど、とにかく生命感がない境内だったので、 もしかしたら無住のお寺かなぁと思いつつ庫裏のインターホンを鳴らしました。すると、庫裏内からお寺の方の返事が聞こえ、 パチンコの換金所もしくはラブホテルの受付を思わすような小さな小窓が開きました! 小窓は胸下くらいの位置にある為、お互い顔を見る事ができないという。まさにパチンコ&ラブホテル状態の受付でした! 拝観料を払うと、小窓から出てくるチケットと手。そしてお釣りと手。遅れて、パンフレットと手も出てきた!なんだか楽しいぞ、この小窓! そんな事よりこの来迎院は、忠臣蔵で有名な大石内蔵助が討ち入り前に身を寄せていたお寺らしいです! なもんで、境内には大石内蔵助が建てた茶室がありました。 その他に、赤穂浪士の遺品が多く所蔵されてるらしいです。
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■山門■
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■山門■
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■山門■
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■参道■
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■本堂■
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■本堂■
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■荒神堂■
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■境内の風景■
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■独鈷水■
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■独鈷水■
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■修行大師像■
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■修行大師像■
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■含翠の庭■
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■含翠の庭■
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■含翠の庭■
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■含翠の庭■
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■茶室 含翠軒■
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■茶室 含翠軒■
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■客殿■
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■客殿■
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