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蓮華寺

■場所

広島県福山市今津町

■由緒

650~654年、今津地方の庄司・田盛安邦の菩提寺として建立したのが始まりらしい。 804年、弘法大師が遣唐使として唐へ向かう途中、 今津浦から見える景色が紀州・熊野三山に似ていることから熊野三社を勧請し、この地に熊野三山を開山したらしい。 その1つがこのお寺で、熊野本宮の御本地仏・阿弥陀如来を本尊としたらしい。 1403年、中興の祖・尊慶阿闍梨が大師開山600年を記念して熊野三山を巡礼し、熊野三所大権現を再勧請したらしい。 江戸時代、参勤交代の制定に伴い、山陽道今津宿の本陣は河本家、脇本陣は蓮華寺と定められ、西国の諸大名が宿泊したらしい。 現在も大名が宿泊した上段の間が現存しているらしい。 1753年、火災により本堂を除く堂塔が焼失したらしい。その後、福山藩主より多額の寄進を受け、現在地に移転&造営したらしい。 本陣・河本家の檀家寺で、明治時代に入るまで剣大明神(高諸神社)の別当寺として栄えたらしい。

■参拝日

2019年7月17日

■日記

高諸神社で参拝後、今津の町をブラブラしようと思っていたらお寺を発見!って事で、立ち寄る。 山門をくぐってすぐの所にある由緒書きを読んでると、このお寺は今津本陣の脇本陣だという事を知る。 しかも脇本陣として使用された上段の間が現存してるというじゃない! さらになんとご本尊の阿弥陀さんは安阿弥作という!安阿弥ですよ!快慶ですよ! なんかとんでもないお寺に来てもうたーっと心のガッツポーズが胸を突き破る。って事で現在、腕3本。 しかし観光寺じゃない為、上段の間の拝観ができるかどうかは不明。 そんなこんなで参拝後、お寺の方を訪ね、上段の間の拝観を願いでると快く了承してくれました!また心のガッツポーズが胸を突き破った! 現在、腕4本。お寺の方はとても親切に対応してくれ、少々浮かれてしまった。4本の腕で身振り手振り質問をする私。 とんだ長居。帰り際、お寺の方に呼び止められ、お守りを頂きました。一応、社交辞令的に丁重にお断りするも、心の腕が許してくれない。 4本の腕がお守りをワシ掴み!お寺の方、その節はいろいろとありがとうございました!

■ご朱印■

ご朱印

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■山門■


到着!

■山門■


蟇股

■山門■


山門をくぐると

■鐘楼■


ゴーン

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■阿弥陀堂(本堂)■


真言宗のお寺です

■阿弥陀堂(本堂)■


1669年建立
1794年移築再建

■阿弥陀堂(本堂)■


なんとー!
ご本尊の阿弥陀如来像は
伝・安阿弥(快慶)作!
御存知、安阿弥とは快慶のこと
あくまで伝です

■阿弥陀堂(本堂)■


阿弥陀堂(本堂)の隣には
念仏堂

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■念仏堂■


そんなこんなで念仏堂へ
お寺の方が
堂内を案内してくれました

■念仏堂・上段の間■


なんとー!
堂内には諸大名が宿泊した
上段の間が現存してました!
これには大感動!

■念仏堂・上段の間■


どうやら参勤交代の際
脇本陣となったお寺らしい!

■念仏堂・上段の間■


違い棚をもつ書院造
いやはや~
貴重な物を見せて頂いて
ありがとうございました!

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■念仏堂■


念仏堂の中央の間には
ご本尊の千手観音さんが
おられました

■念仏堂・不動の間■


ご本尊は不動明王さん
脇侍は
毘沙門天&愛染明王さん
ちなみに毘沙門天さんは
平安時代作(県重文)

■子安延命観音堂■


本尊は如意輪観音さん
脇侍は
准胝観音&文殊菩薩さん

■熊野三所権現■


1403年に再勧請

家都御子神、熊野速玉神
熊野夫須美神を祀る

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■六地蔵■


オン カカカ
ビサンマエイ ソワカ

■安穏地蔵と和楽の童子■


安穏(やすらぎ)地蔵と
和楽(なごみ)の童子
可愛らしい地蔵さん11体と
可愛らしい童子像8体を安置

■境内の風景■


蓮華と本堂

■境内からの景色■


正面には高諸神社
このお寺は明治時代に入るまで
高諸神社の別当寺として
栄えていたらしい

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■頂き物■


お寺の方から
お守りを頂きました

■頂き物■


早速、車にぶら下げました
その節はいろいろと
お世話になりました!
感謝感激です!

ひと足のばして
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■今津本陣跡■


1602年頃
今津宿に設けられた本陣跡
備後領内の本陣は
神辺と今津の2ヶ所のみ

■今津本陣跡■


現在は表門と塀と石垣が
現存するのみ

■今津本陣跡■


代々、庄屋職をつとめた
河本家が世襲しており
現在も
河本さんが住んでおられます

■今津本陣跡■


敷地内には
小さな神社がありました