■場所
京都府京都市西京区松室山添町
■札所
京都洛西観音霊場 番外
■由緒
1176年、延朗上人が創建した最福寺がこのお寺の始まりらしい。
創建当時は七堂伽藍、49院を有する大寺院だったらしい。
1467年、応仁の乱で焼失したらしい。その後、伽藍は再建されず、現在は延朗堂だけが建ち、西光寺が管理しているらしい。
■参拝日
2019年2月17日
■日記
松尾大社と鈴虫寺の間に位置してます、西光寺に到着!ってか、発見。京都洛西観音霊場という石標が立っていたので立ち寄りました。
すごぶる小さい境内に可愛らしいミニマム庭園。そして金網に入った誕生仏が印象的なお寺でした。そんなこんなで、参拝!
と思ったら、本堂の戸は閉まっておりました。って事で、本堂横にある庫裏のインターホンを鳴らし堂内でお参りさせて頂きました。
その後、お寺の方とお話しをしてると、札所はここではなく徒歩数分の所にある飛び地境内にあるとのこと。
そんなこんなで、京都洛西観音霊場・番外札所である延朗堂に到着!家の様なお堂でした。
延朗堂の前には平治、元弘、応仁、元亀の乱 戦火ゆかりの地という石碑がありました。
こんなにも戦火に巻き込まれたんだから、伽藍が再建されなかったのも納得。再建し甲斐がない。
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■山門■
到着!
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■山門■
山門をくぐると
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■手水鉢■
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■本堂■
浄土宗西山禅林寺派の お寺です
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■境内の風景■
本堂前には涅槃像がある ミニ庭園がありました
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■境内の風景■
そして 奉納者の名が刻まれた石柱が 乱立してました 今風でちょっとお洒落です
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■宝篋印塔■
とても古そうです 隅飾の感じからして 鎌倉~室町のものと勝手に推測
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■誕生仏■
それほど 古そうではないですが なぜか金網で保護されてました それにしても可愛い~
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■境内の風景■
その他、可愛いお坊ちゃんが 点在してました ムッチムチのプックプク
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■境内の風景■
ルンルンしてました
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■オリジナル瓦■
ってかーーー!!! なぜか山門には 曹洞宗の宗紋である 久我山竜胆紋がーーー! ここは浄土宗・・・!!! なぜじゃ・・・謎!
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■全景■
ちなみに もの凄い小さなお寺です
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■延朗堂■
西光寺から徒歩3分
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■延朗堂■
こちらが 京都洛西観音霊場・番外札所 となります
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■延朗堂■
西光寺で御朱印が頂けましたが こちらでも 書置きが頂けるようです
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■延朗堂■
延朗堂の横には 延朗上人800回大遠忌を 記念して建立された さしのべ観音と宝篋印塔が ありました
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■戦火ゆかりの地■
延朗堂の前にあります どうやらこの地は 平治、元弘、応仁、元亀の乱 で戦火にあった地とのこと ってか、戦火に遭いまくり
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■戦火ゆかりの地■
平治の乱 → 1160年 元弘の乱 → 1131~1333年 応仁の乱 → 1467~1477年 元亀の乱 → 1570~1573年
大体、100年おきに戦火に 遭ってます
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■最福寺の旧蹟地■
こちらも延朗堂の前にあります
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■宝篋印塔■
最福寺の跡地から 出土したものらしい ちなみに建立年は不詳 隅飾の感じからして 鎌倉~室町のものと勝手に推測
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■笠地蔵■
ただの石のように見えますが 笠地蔵といわれる石仏らしい 宝篋印塔の下から出土 したらしい
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■最福寺の旧蹟地■
旧蹟地には五輪塔の宝珠が オブジェ的に点在してました
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■最福寺の旧蹟地■
とても小さな五輪塔です これらも最福寺の跡地から 出土したものなのでしょうか
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