■場所
広島県安芸郡海田町寺迫
■由緒
715年、福岡・宗像大社より宗像三女神を勧請し、海外貿易の航海の無事を祈り、包ヶ浦入口(現・海田町)の守護神として祀ったのが始まりらしい。
ご祭神は村人総出のたいまつの火で迎え入れられたらしい。創建当時は宗像明神と称していたらしい。
1558年、毛利氏の家臣で鳥籠城の城主・阿曽沼氏が社殿を再建し、宇佐八幡宮より八幡三神を合祀したらしい。
1992年、本殿と幣殿を焼失したらしい。1996年、再建したらしい。
■参拝日
2018年12月15日
■日記
本日は海田町に用事あり。そんなこんなで、用事の後、出崎森神社に到着!
以前、数年ほど海田町に住んでいたのですが、こっち側をブラついたのは本日が初!
過去、10回近く広島のあちこちを引越ししてる私ですが、なぜか住んでる時は自分の町をブラつかないという ← これ私の中のあるある。
そんな事より、社名の通り、昔はここいら一帯は海だったそうです。
境内からちょっと離れた場所に1823年建立の石灯籠があるので、少なくとも約200年前までは石灯籠辺りまで海だったということです。
もうねぇここが海だったなんて、私の想像力じゃ追いつかない。ご祭神は宗像3女神と八幡3神と住吉3神という3神コンプ!
人数合わないけど、なんだか合コンみたいだ。
旧本殿は1743年建立の立派な本殿だったらしいのですが、1992年に火災で焼失してしまったらしい。。。
1992年頃は海田の友達の家によく出入りしてた時期・・・って、ぅん!?ちょっと待て・・・あぁぁぁーーーーーっ!
なんか神社が燃えたって話しを聞いた事あるぞ!
ここの話しだったのか!約26年ぶりに点と点が線になった瞬間でした!これはキモチいい。そんなこんなで、境内を散策。
拝殿前には広島では珍しく出雲尾立の狛犬があり。拝殿横には八雲神社という境内社がありました。
八雲という名の通り、ご祭神は八雲大神(大国主神)。どうしたものか、ちょいちょい出雲色を出してくる境内。
昔は出雲と何らかの関わりがあったのでしょうか。
ちなみにツイッターでお世話になってるタニーさんの情報によると、毎月1・15日と第1・3日曜の午前中のみ御朱印が頂けるとのことです。
今日は偶然15日だったのでご朱印を頂くことができました。
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■境内入口■
到着!
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■参道■
私の想像力じゃ追いつかないが 創建当時は境内入口付近まで 海だったらしい
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■鳥居■
そんなこんなで 鳥居に到着!
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■鳥居■
出崎森 ↓ 海に突き出した森
やはりこの近辺は 海だったようだ
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■手水鉢■
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■参道■
参道脇には鎮守の森 そんなこんなで 石階段を上ると
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■狛犬①■
1996年作 どうやら 再建された社殿と 同い年の模様
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■狛犬②■
岡崎現代型っぽい作風 よく見かける 量産型の狛犬
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■狛犬③■
制作年不詳 脚が補修されてます どうにもこうにも ケンシロウっぽい
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■狛犬③■
広島では珍しく 出雲尾立の狛犬
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■狛犬③■
苔生し加減がハンパなく スエードっぽくて 暖かそうでした
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■狛犬④■
しばし 狛犬萌え萌えタイム
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■拝殿■
●宗像3女神 多紀理姫命、市寸島姫命 多岐都姫命
●八幡3神 応神天皇、神功皇后 仲哀天皇
●住吉3神 底筒之男命、中筒之男命 上筒之男命
久延彦霊命を祀る
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■拝殿■
宗像、八幡、住吉の 3神コンプ! 3神×3を同時に 拝めるのって珍すぃ!
ちなみに旧社殿は 1992年に焼失 現在の社殿は1996年再建
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■拝殿■
『戦艦の絵馬①』 そんなこんなで絵馬観賞・・・ いや、戦艦観賞! 薩摩型かなと思ってみたけど な~んとなく 艦橋の感じが三笠っぽい 1924年奉納
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■拝殿■
『戦艦の絵馬②』 こちらは初期の戦艦・陸奥 このシンプルな艦橋が 数10年後にはモッコモコの 超イカした艦橋になる 艦橋フェチの私は 扶桑の次に好きなのが 長門型(長門、陸奥)です って、どうでもいいってか こんな話っ!
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■拝殿■
『神社由来のモニュメント』 拝殿内には芸術家& 研究員の南昌伸さんが 出崎森神社の由来や 子供時代の記憶を元に 作り上げたアートがありました
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■拝殿■
『神社由来のモニュメント』 村人総出のたいまつの火で 宗像大社よりご祭神を 迎え入れる場面 岸辺の石灯籠は 現在も数百メートル 離れた場所に現存
後ほど紹介します
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■拝殿■
『神社由来のモニュメント』 モニュメントの鳥居と 現・鳥居は大体同じ位置
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■拝殿■
『神社由来のモニュメント』 金色の円形は ご神体、太陽、月 火ともし祭りの炎を 表現しているらしい 1つの作品に 由緒が詰まっている ステキな作品でした これは立体由緒書き!
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■本殿■
1992年に 1743年再建の本殿と 1844年再建の幣殿を焼失 現在の社殿は1996年再建
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■永禄神殿の碑■
石碑には 1558年、鳥籠城の城主 阿曽沼氏が再建した社殿 の事が書いてありました
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■八雲神社■
●八雲大神 須佐之男命、櫛名田姫命
●出雲大神 大国主命、大物主命 などを祀る
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■八雲神社■
その他、めちゃくちゃ たくさんの神様を 祀ってるようですが 説明板の字が薄々なので ほとんど見えませんでした
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■玉垣■
玉垣には 宗像さん宗像さん宗像さん! 宗像さんだらけじゃ!
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■玉垣■
ご祭神の 宗像三女神を勧請する きっかけとなったのは 宗像大社の大宮司の支族 宗像久延の神託によるもの ・・・って、もしかして 玉垣の宗像さんは 筑前国の豪族・宗像氏の末裔?
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■玉垣■
ってか、なんと ここの宮司さんも宗像さん! ちなみにこの神社は 白神社の兼務社らしい
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■火ともしまつり■
毎年、10月中旬 秋祭りの前夜に行われる神事
宗像大社より ご祭神を迎え入れる際 人々がたいまつを灯して 船を出迎えたのが このお祭りの始まりらしい
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■牛魂碑■
初めて拝見する牛魂碑
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■境内の風景■
木々の間から拝殿を望む
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■境内の風景■
拝殿前から境内を望む
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■境内の風景■
鳥居と日浦山を望む お手軽っぽい山なので いつか登ってみたいと思います
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■石灯籠■
1823年建立 神社境内から数百メートル 離れた所にありました
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■石灯籠■
創建当初は ここまで海だったようです 背後に映る山の麓に 出崎森神社が鎮座してます
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■石灯籠■
さきほどの神社由来の モニュメントの灯籠が この灯籠です
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■旧山陽道(西国街道)■
江戸時代、 大坂と下関を結ぶ主要道として 重要な役割を果たした道
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■御茶屋(本陣)跡■
参勤交代の大名が 宿泊する施設があった場所
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■御茶屋(本陣)跡■
現在は民家が建ってます
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■千葉家住宅■
江戸時代中期建立 千葉家は江戸時代を通じて 天下送り役、宿送り役などの 役職を勤めてたらしい
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■三宅家住宅■
江戸時代建立
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■胡子神社■
胡子神社の後ろには 胡子神社と全く同じ幅の建物
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■胡子神社■
正面から見ると後ろの建物が スッポリ隠れます ちなみに鉄塔は火の見やぐら
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■荒神社・恵比須神社■
向き合って建ってます 何気に珍すぃ
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■九十九橋■
1950年竣工 JR・海田駅のすぐ近く 瀬野川に架かるトラス橋
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■九十九橋■
光海軍工廠(山口県光市)の 鉄骨で造られた橋
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■九十九橋■
橋には終戦の前日 1945年8月14日に 米軍の空襲で受けた 弾痕ありました
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■九十九橋■
エグいです 結構、エグいです
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■九十九橋■
どうやら 九十九橋と書いて 『つくもばし』と読むらしい
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■九十九橋■
ちなみに 広島市中区の本川橋も 光海軍工廠(山口県光市)の 鉄骨で造られた橋らしい
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■九十九橋■
まだまだ探せば 弾痕が見つかりそうですが 結構車が通る橋なので あんまりのんびり 散策できませんでした
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