寺社とご朱印の紹介サイト

ロゴ

備後護国神社

■場所

広島県福山市丸之内

■由緒

1868年、福山藩主・阿部正恒が戦死者の霊を祀るために、旧深津郡吉津村に招魂社を創建したのが始まりらしい。 1893年、福山公園(現・福山城)の本丸人質櫓跡に遷座したらしい。 1901年、官祭福山招魂社に改称したらしい。 1939年、福山護国神社に改称したらしい。

■参拝日

2009年10月3日

■日記

福山城内に鎮座しております、備後護国神社に到着! 木造&古建築フェチの私にとっては、近代的な造りの護国神社では萌え度がかなり低めなんですが、 何故か地図上では護国神社の文字を探してしまう護国フェチでもあるんです。 そんな事より、境内にある宮本武蔵の腰掛岩を見た瞬間は相当テンションが上がりました! ただの岩なのに、宮本武蔵が座ったというだけで、ただの岩から特別な岩に昇格するという。 嗚呼、私もこの岩に座りたい・・・でも座っちゃいけない雰囲気が出てるな。そんなこんなで、座らずに帰りました。

■ご朱印■

ご朱印

日記の画像 日記の画像 日記の画像 日記の画像

■境内入口■


到着!

■神門■


大きな門でした

■参道■


神門をくぐると
拝殿へ続く石階段

■神門■


参道から望む

日記の画像 日記の画像 日記の画像 日記の画像

■狛犬①■


どうだ!この鳩胸

■狛犬②■


どうだ!この白乳首

■拝殿■


備後国出身の護国の英霊
大彦命、建沼河別命
豊幹別命および
阿部正弘をはじめとする
歴代備後福山藩主を祀る

■本殿■


日記の画像 日記の画像 日記の画像 日記の画像

■宮本武蔵 腰掛岩■


1624~1629年
武蔵が福山を訪問した時に
座った岩らしい
もとは水野家の家老
中山将監の屋敷に
あったものらしい

■阿部正弘像■


阿部正弘は
江戸時代末期に活躍した
備後福山藩・第7代藩主
日の丸を日本の国旗に
制定した人らしい

■神馬舎■


■絵馬■


みんな片目でした