広島県広島市南区西本浦町
神功皇后が三韓征伐の帰途中、この地で一泊し霊験のあった爾保都比売神を鎮祭したらしい。 翌日出発する際に邪気祓いとして放った矢が現在地の山に当たったので、その矢を神体として仁保島(現・黄金山)の鎮守としたのがこの神社の始まりらしい。 1945年、原爆で社殿が傾いたが、倒壊せずに残ったらしい。 2007年、出火により、本殿や拝殿などを焼失したらしい。
2009年3月7日
本日は108個ある持論の1つを紹介しよう。 『いつまでもソコにあると思うな、古建築』。 私は何を生き急いでいるのか。毎週毎週、お寺&神社巡りをしています。古建築鑑賞が好きなのだ。 でもそれには理由があって、いつ何時、地震カミナリ火事オヤジがあるのかわからない時代。 いつ火事になるかわからない。いつ地震がくるかわからない。いつオヤジになるかわからない。 そんな思いが、私を急がせるのである。 そして邇保姫神社に到着した途端、私の生き方は間違ってなかったと確信しました。 どうやらこの神社、2年前に全焼してしまったらしいです。 こういう事があるのだ。 って事で『いつまでもソコにあると思うな、古建築』。ちなみに邇保姫と書いて『にほひめ』と読みます。
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■境内入口■
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■仮拝殿■
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■仮拝殿■
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■手水舎■
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■仮拝殿■
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■仮拝殿■
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■境内の風景■
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■完成予想図■
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