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大竹市招魂社

■場所

広島県大竹市白石

■由緒

1900年、権現山の麓の三叉路に、日清戦争、北清事変の従軍者の凱旋記念碑を建立したらしい。 1906年、大竹小学校で行われた日露戦争凱旋祝賀式の後、権現山に大竹招魂社を建立し、日清戦争、北清事変、日露戦争の戦没者を合祀したらしい。 1914年、権現山に誠忠碑を建立したらしい。 1929年、大竹町と油見村が合併し、油見村の戦没者を合祀したらしい。 1934年、権現山の大竹招魂社と誠忠碑、そして山麓の凱旋記念碑を現在地に遷座したらしい。1945年、広島市に原爆が投下された際、 たまたま大竹町、小方町、玖波町から広島市に出動していた義勇隊員や動員学徒が被爆戦没したらしい。 1951年、大竹町と木野村が合併し、木野村出身の戦没者を合祀したらしい。 1954年、大竹町、小方町、玖波町、栗谷村、友和村松ヶ原が合併して大竹市となり、大竹市全域の英霊を合祀したらしい。

■参拝日

2018年12月19日

■日記

大竹市の大瀧神社の隣りに鎮座する大竹市招魂社に到着! 以前、大瀧神社にお詣りした事があるのですが、その時は招魂社の存在に気づきませんでした! 護国系の神社へはなるべく足を運んで感謝を述べたいという気持ちが強めな私。 今日の平和は私達の為に犠牲となり尊い命を捧げられた方々のおかげです。そんなこんなで、拝殿前にて感謝の意を伝え、境内を散策。 一対の奉納砲弾や大きな忠魂碑など護国系のマストアイテムを興味深く拝見。先の大戦に想いを馳せ、ジーンときていたひと時でした。

■ご朱印■

ご朱印

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■境内入口■


到着!
注連柱は1968年建立

■鳥居■


1935年建立

■手水舎■


■奉納砲弾■


1932年建立
鳥居前には
狛犬的に一対の砲弾が
建ってました

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■拝殿■


1955年建立
国家の為に戦没した
大竹市出身の英霊
1457柱を祀る

■拝殿■


拝殿内には
原爆で戦没した方々の
写真がかなりの数
掲げられてました

■拝殿■


扁額には
大竹招魂社と書いてますが
正式名称は
大竹市招魂社のようです

■拝殿■


桜と錨と星の神紋
護国の英霊を桜に例え
護国神社の多くが
桜花紋を使用してます
ちなみに星紋は陸軍
錨紋は海軍の象徴

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■本殿■


1955年建立
流造

■本殿■


本殿前には
玉乗り型の狛犬が
おられました

■本殿■


石積みには屋根瓦を展示

■境内社■


どなたが
祀られてるのでしょ

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■凱旋紀念碑■


1900年建立
日清戦争、北清事変の
従軍者の凱旋記念碑
どうやらこれが
由緒に書いてあった
凱旋記念碑のようです

■誠忠碑■


1914年建立
碑には
日露戦争で戦没した方々の
名前が刻まれてました
こちらの誠忠碑も
由緒に書いてありました

■慰霊碑■


1968年建立
台座には
おびただしい数の戦没者の
名前が刻まれてました

■子もちざくら■


樹齢 100年以上

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■塩田冨太郎先生之碑■


1930年建立